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使徒の働き第5章12節~16節

岩本遠億牧師

2014年9月21日

(*これには音声メッセージはありません。)

5:12 また、使徒たちの手によって、多くのしるしと不思議なわざが人々の間で行なわれた。みなは一つ心になってソロモンの廊にいた。 5:13 ほかの人々は、ひとりもこの交わりに加わろうとしなかったが、その人々は彼らを尊敬していた。 5:14 そればかりか、主を信じる者は男も女もますますふえていった。 5:15 ついに、人々は病人を大通りへ運び出し、寝台や寝床の上に寝かせ、ペテロが通りかかるときには、せめてその影でも、だれかにかかるようにするほどになった。 5:16 また、エルサレムの付近の町から、大ぜいの人が、病人や、汚れた霊に苦しめられている人などを連れて集まって来たが、その全部がいやされた。

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聖霊降臨の日のペテロの説教、また、生まれつき歩けなかった人をイエス・キリストの御名によって立ち上がらせたペテロの説教によって、エルサレムのクリスチャンの数は爆発的に増えていきました。そんな折、献金に関して、内なる聖霊の働きを軽んじ、聖霊を欺いたために、ペテロに叱責され、アナニヤとサッピラ夫婦が命を落とすという事件が起こりました。

5章11節には、「そして、教会全体と、このことを聞いたすべての人たちとに、非常な恐れが生じた」とあります。「非常な恐れが生じた」とは、どういうことか。それは、「神は生きている。神をごまかすことはできない」ということが本当に分かったということです。

旧約聖書の詩篇には、「愚か者は、心の中で『神はいない』と言っている」という言葉があります。表面的には神を賛美し、感謝しながら生きていても、心の中で「神はいない」と思いながら生きている者がいるというのです。そのような者は、愚か者だと。

人の前でごまかすことができると考えることは、心の中で「神はいない」と思うのと等しいことです。アナニヤとサッピラの出来事は、まさに、「神は生きている。イエス・キリストは生きている」ということを事実として人々に突き付けたものであったのです。

そして、そのことと、使徒たちの手によって不思議な業が行われたということは、決して別々の出来事ではありませんでした。イエス・キリストは生きているという事実と確信は、イエス様が癒し主として苦しめるものを癒してくださるという信仰と一体のものだからです。

神に対する真実の恐れと神に対する深い信頼とが一体となる時、そこに驚くべき御業が行われるのです。使徒の働きのこの箇所はこのことを教えています。

主イエスの御名による癒しについて詳しく見る前に、「5:13 ほかの人々は、ひとりもこの交わりに加わろうとしなかったが、その人々は彼らを尊敬していた。 5:14 そればかりか、主を信じる者は男も女もますますふえていった。」という一見矛盾する記述について考えておきましょう。12節に「また、使徒たちの手によって、多くのしるしと不思議なわざが人々の間で行なわれた。」とある「人々」と訳してある言葉は、ラオスという言葉ですが、これは「神の民」を意味します。13節の「ほかの人々」は、ラオスに対比された人々ということですので、「神の民ではない人々」ということになります。

つまり、神の民でない人々は、一人も神の民の交わりに加わろうとしなかったということです。一方、「主を信じるは男も女もますますふえていった。」というのは、主の民です。主の民はどんどん見出され、仲間に加えられていったのです。ルカの福音書とルカの書いた使徒の働きには、ラオスという言葉が多用されます。使徒たちの働きが、まさに主の民を集めるための働きであったことが分かります。

そこで行われたのが、ペテロを始めとする使徒たちによる癒しの業です。主イエスの御霊が豊かにお働きになるとき、このような驚くべき癒しの業が行われます。しかし、これは単に体が癒されるだけでなく、霊も主イエスの御霊によって救われる、全存在を回復せしめる主イエスご自身のお働きなのです。

主イエスがこのようなお働きをなさる時、信仰、信じる力を強めてくださる。15節に「ついに、人々は病人を大通りへ運び出し、寝台や寝床の上に寝かせ、ペテロが通りかかるときには、せめてその影でも、だれかにかかるようにするほどになった」とありますが、これはペテロの影にかかりさえすれば、癒されると信じざるを得ないほどの、強い聖霊の働きがペテロの手によって行われていたということです。

これに類する箇所に使徒の働き19章があります。パウロがエペソで伝道をしていた時、次のような不思議な出来事が起こったと、ルカは記録しています。「19:11 神はパウロの手によって驚くべき奇蹟を行なわれた。 19:12 パウロの身に着けている手ぬぐいや前掛けをはずして病人に当てると、その病気は去り、悪霊は出て行った。」

ここでもパウロをとおしてお働きになる主イエス・キリストの御霊に対する強い信仰があります。パウロが使っているものに触れたら、パウロの中に働いているイエス様の御霊が働いて下さる。そのように信じざるを得ないような聖霊の働きがあったのです。

パウロは、エペソの信徒にあてた手紙の中で、次のように祈っています。「1:17 どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。 1:18 また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、 1:19 また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。」

「神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。」信じる者に働く神の偉大な力、それをエペソの信徒たちはパウロがエペソで伝道しているときに体験しました。パウロがいなくなった今もそれと同じ神の偉大な力を知ってほしい。信じる者に働く、この偉大な神の優れた力の偉大さを経験的に知ってほしい。それがパウロの祈りであったのです。

私がパプア・ニューギニアに伝道に行ったとき、本当に不思議な主イエスの癒しの業が次々と起こりました。そして、それは私が祈った時だけでなく、夜バイブルスタディーに来てくれていた10代、20代の若い男の子たちが、私に代わって祈りに行ったときにも、同様に起こりました。また、私がニューギニアを去ったのちも、その業が継続的に行われているという手紙をもらいました。そして、その男の子たちの中から、献身者が起こされ、今、牧師として働いています。今も生きている主イエスの御霊が、お働きになったのです。

ニューギニアを去る直前にも忘れられない出来事が起こりました。私は、聖書を世界中の言語に翻訳する働きをしているSIL (Summer Institute of Linguistics)の基地があるウカルンパというところにあるエドミストンさんの家に数日泊めてもらいました。エドミストンさんは、私が伝道に行ったアランブラック族のために聖書をアランブラック語に翻訳する働きをしていました。

SILの日曜日の礼拝で、自由な証の時間があったので、私は主イエスが、私をどのように救い、どのように導き、またどのようにアランブラックの人々の間でお働きになったかを証ししました。すると、日曜日の夕方、あるニューギニアの若い女性のクリスチャンがエドミストンさんの家を訪ねてきました。

「数か月前から体調がすごく悪く、体中に激痛がある。最初マラリアの疑いで治療を受けたが、治らない。チフスの治療も受けたが、治らない。原因不明の病気に冒され、もうずっと仕事にも行っていない。お金も尽き果てた。私はこのままでは死んでしまう。祈ってほしい。」

私は、その人に訊ねました。「あなたはクリスチャンですか。」「はい。そうです。」
「では、あなたは、イエス様がいつかどこかにやって来て、誰かを救うとは信じているでしょう。しかし、あなたは、イエス様が今、ここに来て、あなたを救うと信じますか。」彼女はしばらくうつむいて考え、そして、顔を私のほうにしっかりと向けて言いました。「はい、信じます。」

私は、イエス様の御名を呼び、彼女がすっかり元気になっている姿を思い浮かべ、祈り、彼女の中にいる病霊に立ち向かい、イエス様の御名によって出ていくように命じました。イエス様の御霊がそこに働いて下さり、彼女もエドミストン夫妻も、イエス様の御前に泣き崩れ、ひれ伏すような状況となりました。私は、彼女の手を取って立たせ、言いました。「さあ、もう大丈夫。安心して帰りなさい。」

翌日、エドミストン夫人が彼女に電話をしました。どうしているかと心配してのことでした。しかし、彼女はいませんでした。すっかり元気になって働きに出て行ったあとだったのです。信じる彼女の信仰に答えてくださったイエス様がいたのです。

つい最近にも私たちの教会に与えられた恵みがあります。数か月前から礼拝に来られるようになったAさんという方がいらっしゃいます。多くの苦しみと悩み、重荷を背負って生きてこられましたが、1か月半ほど前の礼拝の後で、「先生、話を聞いてもらってもいいでしょうか」とおっしゃいます。

「私は、小さいころから強迫性障害で、しかもそれがXXX(とても酷い内容)というものです。今、これに強く捕えられて、もう一歩も前に進むことができません。生活をすることができません。仕事も進めることができないのです。祈っていただけたらと思います。」

私は、Aさんに訊ねました。「Aさん、あなたはイエス様にはあなたを癒すことができると信じますか。」Aさんは、震えながら答えられました。「はい、信じます。」

私は、イエス様の御名を呼び、Aさんを長年しばりつけてきた悪しき者に、イエス様の御名によって出ていくように命じました。その時以来、この病気は快癒し、Aさんの表情はとてもにこやかに、柔らかくなり、喜びに満ちて礼拝に集っておられます。そして、それだけでなく、これまでイエス様を頭で信じようとしていたAさんが、「現実に働くイエス様を知るようになった」と告白なさるようになり、信仰が深められ、確かなものとされてきているのです。

「信じる者に働く神の優れた力がいかに偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができるように」とパウロは祈りました。その祈りに答え、今も、主イエス様の御霊、聖霊が信じる者の中に豊かに働いて下さっているのです。

イエス様の癒しは全身全霊を癒すものです。存在の全てを癒す。

勿論、私たちはいずれこの身体を脱ぎ捨てて、神様のところに帰らなければなりません。いつまでも体の癒しが与えられるわけではありません。間違いなく、最後には体の癒しは与えられません。しかし、このような存在の在り方を変えるような全身全霊を癒すイエス様の御力に触れる時に、いずれ弱り果て、朽ち行く肉体を乗り越えて、私たちの魂、私たちの霊は、イエス様を告白し、希望を告白するものと変えられていくのです。

だから、私たちは希望を告白し、イエス様の御名を呼びたい。信じる心が弱る時、「主よ。信じる心をお与えください。あなたご自身が私たちの中に入って来て、告白させてください。『主よ。信じます』と」。

祈りましょう。

岩本遠億


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