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永遠の大祭司の死の効力

ルカの福音書講解(112)第23章44節~56節

岩本遠億牧師

2014年3月2日

23:44 そのときすでに十二時ごろになっていたが、全地が暗くなって、三時まで続いた。

23:45 太陽は光を失っていた。また、神殿の幕は真二つに裂けた。

23:46 イエスは大声で叫んで、言われた。「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」こう言って、息を引き取られた。

23:47 この出来事を見た百人隊長は、神をほめたたえ、「ほんとうに、この人は正しい方であった。」と言った。

23:48 また、この光景を見に集まっていた群衆もみな、こういういろいろの出来事を見たので、胸をたたいて悲しみながら帰った。

23:49 しかし、イエスの知人たちと、ガリラヤからイエスについて来ていた女たちとはみな、遠く離れて立ち、これらのことを見ていた。

23:50 さてここに、ヨセフという、議員のひとりで、りっぱな、正しい人がいた。

23:51 この人は議員たちの計画や行動には同意しなかった。彼は、アリマタヤというユダヤ人の町の人で、神の国を待ち望んでいた。

23:52 この人が、ピラトのところに行って、イエスのからだの下げ渡しを願った。

23:53 それから、イエスを取り降ろして、亜麻布で包み、そして、まだだれをも葬ったことのない、岩に掘られた墓にイエスを納めた。

23:54 この日は準備の日で、もう安息日が始まろうとしていた。

23:55 ガリラヤからイエスといっしょに出て来た女たちは、ヨセフについて行って、墓と、イエスのからだの納められる様子を見届けた。

23:56 そして、戻って来て、香料と香油を用意した。安息日には、戒めに従って、休んだが、

民数記
35:22 もし敵意もなく人を突き、あるいは悪意なしに何か物を投げつけ、

35:23 または気がつかないで、人を死なせるほどの石を人の上に落とし、それによって死なせた場合、しかもその人が自分の敵でもなく、傷つけようとしたのでもなければ、

35:24 会衆は、打ち殺した者と、その血の復讐をする者との間を、これらのおきてに基づいてさばかなければならない。

35:25 会衆は、その殺人者を、血の復讐をする者の手から救い出し、会衆は彼を、逃げ込んだそののがれの町に返してやらなければならない。彼は、聖なる油をそそがれた大祭司が死ぬまで、そこにいなければならない。

35:26 もし、その殺人者が、自分が逃げ込んだのがれの町の境界から出て行き、

35:27 血の復讐をする者が、そののがれの町の境界の外で彼を見つけて、その殺人者を殺しても、彼には血を流した罪はない。

35:28 その者は、大祭司が死ぬまでは、そののがれの町に住んでいなければならないからである。大祭司の死後には、その殺人者は、自分の所有地に帰ることができる。

へブル人への手紙
5:5 同様に、キリストも大祭司となる栄誉を自分で得られたのではなく、彼に、「あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。」と言われた方が、それをお与えになったのです。

5:6 別の個所で、こうも言われます。「あなたは、とこしえに、メルキゼデクの位に等しい祭司である。」

5:7 キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。

5:8 キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、

5:9 完全な者とされ、彼に従うすべての人々に対して、とこしえの救いを与える者となり、

5:10 神によって、メルキゼデクの位に等しい大祭司ととなえられたのです。

へブル人への手紙
9:11 しかしキリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、手で造った物でない、言い替えれば、この造られた物とは違った、さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、

9:12 また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所にはいり、永遠の贖いを成し遂げられたのです。

9:13 もし、やぎと雄牛の血、また雌牛の灰を汚れた人々に注ぎかけると、それが聖めの働きをして肉体をきよいものにするとすれば、

9:14 まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。

9:15 こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者です。それは、初めの契約のときの違反を贖うための死が実現したので、召された者たちが永遠の資産の約束を受けることができるためなのです。

・・・
9:24 キリストは、本物の模型にすぎない、手で造った聖所にはいられたのではなく、天そのものにはいられたのです。そして、今、私たちのために神の御前に現われてくださるのです。

9:25 それも、年ごとに自分の血でない血を携えて聖所にはいる大祭司とは違って、キリストは、ご自分を幾度もささげることはなさいません。

9:26 もしそうでなかったら、世の初めから幾度も苦難を受けなければならなかったでしょう。しかしキリストは、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身をいけにえとして罪を取り除くために、来られたのです。

9:27 そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、

9:28 キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。


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