「ルカの福音書」 連続講解説教

あなたのいのちを回復するために

ルカの福音書第2章21節〜40節
岩本遠億牧師
2021年11月14日

“八日が満ちて幼子に割礼を施す日となり、幼子の名はイエスとつけられた。胎内に宿る前に御使いがつけた名である。そして、モーセの律法による彼らのきよめの期間が満ちたとき、両親は幼子をエルサレムに連れて行った。それは、主の律法に「最初に胎を開く男子はみな、主のために聖別された者と呼ばれる」と書いてあるとおり、幼子を主に献げるためであった。また、主の律法に「山鳩一つがい、あるいは家鳩のひな二羽」と言われていることにしたがって、いけにえを献げるためであった。

 そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルが慰められるのを待ち望んでいた。また、聖霊が彼の上におられた。そして、主のキリストを見るまでは決して死を見ることはないと、聖霊によって告げられていた。シメオンが御霊に導かれて宮に入ると、律法の慣習を守るために、両親が幼子イエスを連れて入って来た。シメオンは幼子を腕に抱き、神をほめたたえて言った。
「主よ。今こそあなたは、おことばどおり、しもべを安らかに去らせてくださいます。私の目があなたの御救いを見たからです。あなたが万民の前に備えられた救いを。異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの栄光を。」

 父と母は、幼子について語られる様々なことに驚いた。シメオンは両親を祝福し、母マリアに言った。「ご覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人が倒れたり立ち上がったりするために定められ、また、人々の反対にあうしるしとして定められています。あなた自身の心さえも、剣が刺し貫くことになります。それは多くの人の心のうちの思いが、あらわになるためです。」

 また、アシェル族のペヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。この人は非常に年をとっていた。処女の時代の後、七年間夫とともに暮らしたが、やもめとなり、八十四歳になっていた。彼女は宮を離れず、断食と祈りをもって、夜も昼も神に仕えていた。ちょうどそのとき彼女も近寄って来て、神に感謝をささげ、エルサレムの贖いを待ち望んでいたすべての人に、この幼子のことを語った。

両親は、主の律法にしたがってすべてのことを成し遂げたので、ガリラヤの自分たちの町ナザレに帰って行った。幼子は成長し、知恵に満ちてたくましくなり、神の恵みがその上にあった。”       ルカの福音書 2章21~40節

出エジプト記 13章1~2節
“主はモーセに告げられた。
「イスラエルの子らの間で最初に胎を開く長子はみな、人であれ家畜であれ、わたしのために聖別せよ。それは、わたしのものである。」”

出エジプト記 13章12~13節
“最初に胎を開くものはみな、主のものとして献げなければならない。家畜から生まれ、あなたのものとなるすべての初子のうち、雄は主のものである。ただし、ろばの初子はみな、羊で贖わなければならない。もし贖わないなら、首を折らなければならない。また、あなたの子どもたちのうち、男子の初子はみな、贖わなければならない。”

民数記 18章15~16節
人の長子は、必ず贖わなければならない。・・・その贖いの代金として、生後一か月たってから、一シェケル二十ゲラの聖所のシェケルで、銀五シェケルを払わなければならない。

イスラエルの初子はすべて主のもの
出エジプトの時、エジプトの初子が全て打たれた(主のものとなった)ように、イスラエルの初子も全て主のものである。だから、清い動物の初子は全て捧げよ。ただし、人の初子はその両親が買い取れ。

“主はモーセにこう告げられた。
「イスラエルの子らに告げよ。女が身重になり、男の子を産んだとき、その女は七日の間汚れ、月のさわりの不浄の期間と同じように汚れる。八日目には、その子の包皮の肉に割礼を施す。

彼女は血のきよめのために、さらに三十三日間こもる。そのきよめの期間が満ちるまでは、いかなる聖なるものにも触れてはならない。また聖所に入ってはならない。女の子を産んだ場合は、月のさわりの時と同じように二週間汚れる。彼女は、血のきよめがなされる必要があるので、さらに六十六日間こもる。

彼女のきよめの期間が満ちたら、息子の場合であっても娘の場合であっても、全焼のささげ物として一歳の子羊一匹と、罪のきよめのささげ物として家鳩のひなか山鳩を一羽、会見の天幕の入り口にいる祭司のところに持って行く。

祭司はこれを主の前に献げ、彼女のために宥め(贖い)を行い、彼女はその出血の汚れからきよくなる。これが、男の子であれ女の子であれ、子を産む女についてのおしえである。
しかし、もし彼女に羊を買う余裕がなければ、二羽の山鳩か、二羽の家鳩のひなを取り、一羽は全焼のささげ物、もう一羽は罪のきよめのささげ物とする。祭司は彼女のために宥め(贖い)を行い、彼女はきよくなる。」”
レビ記 12章1~8節

この箇所から一般に受ける印象

女性の生理現象は、汚れ、罪?
男性の生理現象の場合は1日汚れる(レビ記15章)

命がけて子供を産んだのにそれは汚れなの?罪なの?

聖霊によって身篭り、神の子イエスを産んだのに、それは汚れなの?罪なの?

聖書が汚れ、罪と呼ぶものは、私たちが通常使う言葉の意味とは違うのではないか?

「宥め」と訳されていることば:カファール(「覆う」の意)

“実に、肉のいのちは血の中にある。わたしは、祭壇の上であなたがたのたましいのために宥め(カファール:覆う)を行うよう、これをあなたがたに与えた。いのちとして宥め(カファール:覆う)を行うのは血である。”
レビ記 17章11節

“すべての肉のいのちは、その血がいのちそのものである。それゆえ、わたしはイスラエルの子らに言ったのである。『あなたがたは、いかなる肉の血も食べてはならない。すべての肉のいのちは、その血そのものであるからだ。それを食べる者はだれでも断ち切られる』と。”
レビ記 17章14節

いのちがいのちを覆う=カファール

死体は汚れている
=いのちが完全に失われたものは汚れている

出血があった場合、人は汚れる
 血を失う=いのちを失う→汚れる=罪

傷のない捧げものの血によって贖いを行う(カファールする)
=いのちを失ったものに血を注ぐ
=いのちを回復させる

女性は出産によって血を失う=いのちを失う
清めの期間=いのちの回復のための期間
動物の血によるカファール=いのちの回復の完成

神様の重大関心事
=いのちを失った者たちにいのちを回復させること

イスラエルの多くの人が倒れたり立ち上がったりするために定められ

聖書で「多くの」=すべての
倒れたり立ち上がったり=倒れ、また、立ち上がる
            滅び     甦る

あなたが万民の前に備えられた救いを。異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの栄光を。

この子は、イスラエルの多くの(=すべての)人が倒れたり立ち上がったりする(=倒れ、また立ち上がる)ために定められ、また、人々の反対にあうしるしとして定められています。
母マリアに語ったことばは、イスラエル人としてイスラエルの中で生きるイエスについてのことば
→イスラエルに限定されている

救い
=イエスによって倒され、また立ち上がらせられる

「イエスによって倒され、また立ち上がらされる」とは?

イエスの聖に触れる
→自分が神様のいのちから断絶された者、死によって汚れた者、罪ある者であることを知る

イエスのいのちによって立ち上がる
=イエスの贖いの血を注がれ、いのちを回復する(=永遠のいのちを与えられる)

神様は意地悪ではない。ケチではない。

命が欠乏している私たちに命を注ぎたい、生かしたいと願っておられる。

神が人として来られたのは、ご自身の血によって、私たちの肉の弱さ、いのちの欠乏、罪の汚れを覆うため、カフアールするため、いのちを注ぐため。

だから、私たちも「あなたの血を注いでください、あなたの命を注いでください」と祈って良い。
私たちの体のいのち(ネフッシュ)を愛してくださっている神がいる。

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