「マタイの福音書」連続講解説教

この時、山が動いた

マタイの福音書第15章21~39節
岩本遠億牧師
2020年10月4日

イエスはそこを去ってツロとシドンの地方に退かれた。すると見よ。その地方のカナン人の女が出て来て、「主よ、ダビデの子よ。私をあわれんでください。娘が悪霊につかれて、ひどく苦しんでいます」と言って叫び続けた。しかし、イエスは彼女に一言もお答えにならなかった。弟子たちはみもとに来て、イエスに願った。「あの女を去らせてください。後について来て叫んでいます。」イエスは答えられた。「わたしは、イスラエルの家の失われた羊たち以外のところには、遣わされていません。」しかし彼女は来て、イエスの前にひれ伏して言った。「主よ、私をお助けください。」すると、イエスは答えられた。「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのは良くないことです。」しかし、彼女は言った。「主よ、そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパン屑はいただきます。」そのとき、イエスは彼女に答えられた。「女の方、あなたの信仰は立派です。あなたが願うとおりになるように。」彼女の娘は、すぐに癒やされた。

それから、イエスはそこを去ってガリラヤ湖のほとりに行かれた。そして山に登り、そこに座っておられた。すると大勢の群衆が、足の不自由な人たち、目の見えない人たち、手足の曲がった人たち、口のきけない人たち、そのほか多くの人をみもとに連れて来て、イエスの足もとに置いたので、イエスは彼らを癒やされた。群衆は、口のきけない人たちがものを言い、手足の曲がった人たちが治り、足の不自由な人たちが歩き、目の見えない人たちが見えるようになるのを見て驚いた。そしてイスラエルの神をあがめた。

イエスは弟子たちを呼んで言われた。「かわいそうに、この群衆はすでに三日間わたしとともにいて、食べる物を持っていないのです。空腹のまま帰らせたくはありません。途中で動けなくなるといけないから。」弟子たちは言った。「この人里離れたところで、こんなに大勢の人に十分食べさせるほどたくさんのパンを、どこで手に入れることができるでしょう。」すると、イエスは彼らに言われた。「パンはいくつありますか。」彼らは言った。「七つです。それに、小さい魚が少しあります。」そこで、イエスは群衆に地面に座るように命じられた。そして七つのパンと魚を取り、感謝の祈りをささげてからそれを裂き、弟子たちにお与えになったので、弟子たちは群衆に配った。人々はみな、食べて満腹した。そして余ったパン切れを集めると、七つのかごがいっぱいになった。食べた者は、女と子どもを除いて男四千人であった。それから、イエスは群衆を解散させて舟に乗り、マガダン地方に行かれた。

ヘロデ・アンティパスによるイエス殺害計画

イエス、群衆を離れる=ヘロデから群衆と弟子を守るため

ついて来る群衆→彼らを癒し、2万人の人を養う

イエス、夜を徹して祈る→悪魔に勝利するために、エルサレムでの十字架を見据える。

弟子と群衆を巻き込まないため、外国に身を避ける=群衆のいない静かな環境で神の御心を求める

カナンの女性の叫び
 「ダビデの子よ」←外国であるイスラエルの王よ
           =カナンの神々には力がない、イスラエルの王にこそ真の力があるとの告白
→イエスは無視
→叫び続ける女性、弟子たちの困惑
=イエスは、ここで群衆が集結することを危険だと考えている。(捕縛されると十字架という目的が達成できない)
→「子どもたちのパンを取り上げて、子犬に投げてやるのはよろしくない」「犬に聖なるものを投げてやるな」
(注意:イエスは以前、ローマの百人隊長の僕を癒している)

→食い下がる女性
 「主よ。そのとおりです。しかし、子犬たちも主人の食卓から落ちるパン屑はいただきます。」
→驚嘆するイエス
 「あなたの信仰は偉大です。あなたの願う通りになるように」
→娘は癒される
→ガリラヤ湖のほとりに退去←ツロ・シドンで群衆が集結するのを避ける

それから、イエスはそこを去ってガリラヤ湖のほとり(デカポリス側)に行かれた。そして山に登り、そこに座っておられた。

すると大勢の群衆(ツロ・シドンの人々)が、足の不自由な人たち、目の見えない人たち、手足の曲がった人たち、口のきけない人たち、そのほか多くの人をみもとに連れて来て、イエスの足もとに置いたので、イエスは彼らを癒やされた。

群衆は、口のきけない人たちがものを言い、手足の曲がった人たちが治り、足の不自由な人たちが歩き、目の見えない人たちが見えるようになるのを見て驚いた。そしてイスラエルの神をあがめた。

「イスラエルの民の食卓から落ちるパン屑で十分です。異邦人はパン屑だけで癒されるのです。イスラエルの王の力は、それほど偉大なのです。」

イエスは、パン屑ではなく、パンと魚で異邦人を満腹になさった。

パン屑で十分と告白する一人の人の懇願から、全ての人にパンそのもの、いのちの本体を与える神

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