「マタイの福音書」連続講解説教

その幸せの基準は正しいか?

マタイの福音書第5章1節~10節
岩本遠億牧師
2016年4月10日

5:3 「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。

5:4 悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。

5:5 柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。

5:6 義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。

5:7 あわれみ深い者は幸いです。その人はあわれみを受けるからです。

5:8 心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。

5:9 平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。

5:10 義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。

人にとっての幸い(=祝福)とは何か?
経済力を持つことか?
社会的地位を持つことか?
他人から評価されることか?

特定の文化社会における祝福観は普遍的ではない。人を真に救うことはできない。
苦しみはある。しかし、それが特定の文化社会に生きることからくるものであるなら、それはあなたの存在を卑しめることはできない。

人は存在の意味を問う。
自分の存在は、損在か尊在か?
        ↑
     社会文化的評価
     何ができるか。
     何をしたか。

人は存在の意味を問う。
自分の存在は、尊在である
        ↑
  創造者である父なる神との関係

マタイの福音書
3:16 こうして、イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると、天が開け、神の御霊が鳩のように下って、自分の上に来られるのをご覧になった。 3:17 また、天からこう告げる声が聞こえた。「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」

心の貧しい人は幸いです(何と祝福されていることか!)。
プニューマ=霊
貧しい=運命的、絶望的貧困
霊における絶望的貧困状態

人間は霊的な存在である
創世記
2:7 その後、神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きたものとなった。

ヨハネの福音書
3:3 イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」
  ・・・
3:5 イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。

イエスとの出会い
→自分が霊的な存在であることを知る
→霊の渇きを満たす方がいることを知る
=自分が尊在であることを知る

ルカの福音書
11:11 あなたがたの中で、子どもが魚を下さいと言うときに、魚の代わりに蛇を与えるような父親が、いったいいるでしょうか。
11:12 卵を下さいと言うのに、だれが、さそりを与えるでしょう。
11:13 してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」

マタイの福音書
11:12 バプテスマのヨハネの日以来今日まで、天の御国は激しく攻められています。そして、激しく攻める者たちがそれを奪い取っています。

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