「マルコの福音書」 連続講解説教

イエスの権威の秘密

マルコの福音書第1章29節~39節
岩本遠億牧師
2016年8月14日

1:29 イエスは会堂を出るとすぐに、ヤコブとヨハネを連れて、シモンとアンデレの家にはいられた。

1:30 ところが、シモンのしゅうとめが熱病で床に着いていたので、人々はさっそく彼女のことをイエスに知らせた。

1:31 イエスは、彼女に近寄り、その手を取って起こされた。すると熱がひき、彼女は彼らをもてなした。

1:32 夕方になった。日が沈むと、人々は病人や悪霊につかれた者をみな、イエスのもとに連れて来た。

1:33 こうして町中の者が戸口に集まって来た。

1:34 イエスは、さまざまの病気にかかっている多くの人をお直しになり、また多くの悪霊を追い出された。そして悪霊どもがものを言うのをお許しにならなかった。彼らがイエスをよく知っていたからである。

1:35 さて、イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。

1:36 シモンとその仲間は、イエスをを追って来て、

1:37 彼を見つけ、「みんながあなたを捜しております。」と言った。

1:38 イエスは彼らに言われた。「さあ、近くの別の村里へ行こう。そこにも福音を知らせよう。わたしは、そのために出て来たのだから。」

1:39 こうしてイエスは、ガリラヤ全地にわたり、その会堂に行って、福音を告げ知らせ、悪霊を追い出された。

権威ある教えとは?
言葉が実体化する

イエスの御前に立つ、イエスの言葉を聞く
→人の中にある本質が明らかにされる

16節〜20節 イエスの招きに答え、全てを捨ててイエスに従う弟子たち。

29節 ペテロとアンデレの家に救いをもたらすイエス。

安息日にペテロの姑を癒す
   ↓
ペテロの姑=最初にイエスに仕える者
「もてなした」←「仕えた」(未完了相)
         =その後も仕え続けた

夕方になった=安息日が終わった
          安息日に歩ける距離=約1km
          人々が病人を担いで来た

多くの人を癒し、多くの悪霊を追い出された
→悪霊どもがものを言うのをお許しにならなかった。彼らがイエスをよく知っていたからである。

イエスのメシア性の秘匿

なぜ、イエスがメシア(=キリスト)であることを公にすることをイエスは禁じるのか?

聖霊だけがイエスがメシアであることを啓示する。

その他のものは、その意図と目的を持つ。
  悪霊の意図と目的とは?
  人の意図と目的とは?

しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。ヨハネ16:13

誰でも、聖霊によらなければ、イエスは主ですということはできない。第一コリント12:3

聖霊の啓示による告白のみを主イエスはお受けになる。

朝早く、まだ夜のうちに寂しいところに祈りに行くイエス

イエスの祈り=父と一つであること
自分の思いではなく父の御思い

朝早く、夜を徹し寂しいところで常に祈るイエス
 ・カペナウムを離れる時
 ・12弟子を選ぶ時
 ・ご自身を弟子たちに明らかにされる時
 ・十字架を受け入れる決心をなさる時

「まことに、まことに、あなたがたに告げます。子は、父がしておられることを見て行う以外は、自分からは何事も行うことができません。父がなさることは、何でも、子も同様に行うのです。」 ヨハネ5:19

「わたしは、自分から話したのではありません。わたしを遣わした父ご自身が、わたしが何を言い、何を話すべきかお命じになりました。わたしは、父の命令が永遠の命であることを知っています。それゆえ、わたしが話していることは、父がわたしに言われたとおりを、そのままに話しているのです。」 ヨハネ12:49-50

「アバ、父よ。あなたにおできならないことはありません。どうぞ、この杯(十字架の呪い)をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたの御心のままを行ってください。」 マルコ14:36

主イエスの祈り=父なる神と一つであること
           父なる神の御思いを祈る
           →父なる神の御思いが実現

カペナウムを離れる
 ・病と悪霊に苦しむ者を置き去りにする
 ・他の村や町に行って神の国を宣教する

主イエスの葛藤→父なる神との対座
→カペナウムを去る決心
→できるだけ多くの村や町での神の国の宣教
  ・御言葉
  ・癒し、悪霊放逐

主イエスの神の国宣教の主眼
 ・父なる神が悪霊に苦しめられている者の解放を願っておられる。
 ・父なる神が病気で苦しむ者の癒しを願っておられる。

私たちの祈りの原動力もここにある。

この時は、カペナウムを離れるが、また戻る。
全イスラエルに弟子たちを派遣する。
ペンテコステ以降弟子たちが宣教に出る。

「あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば、受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。」 ヨハネの福音書第16章26節

名は実の賓なり:
 実質があってこそ、名は意味と価値を持つ

イエスの名による祈り:イエスの祈りを祈る者となる
=父なる神の御思いを祈る者となる

主イエスは、聖霊が私たちをすべての真理に導きいれるとお約束になった。

聖霊が私たちの中にやって来られ、この内側に働く肉の思い、罪の力を焼き尽くし、主イエスの祈りを祈る者へと私たちを造り変えてくださる。

私たちが祈る祈りによって主イエスの御思いがこの地に実現して行くことを願ってくださった。

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