「マタイの福音書」連続講解説教

イエスは地獄の底をも満たす

マタイの福音書第26章14節〜25節
岩本遠億牧師
2021年7月4日

“そのとき、十二人の一人で、イスカリオテのユダという者が、祭司長たちのところへ行って、こう言った。「私に何をくれますか。この私が、彼をあなたがたに引き渡しましょう。」すると、彼らは銀貨三十枚を彼に支払った。そのときから、ユダはイエスを引き渡す機会を狙っていた。

さて、種なしパンの祭りの最初の日に、弟子たちがイエスのところに来て言った。「過越の食事をなさるのに、どこに用意をしましょうか。」イエスは言われた。「都に入り、これこれの人のところに行って言いなさい。『わたしの時が近づいた。あなたのところで弟子たちと一緒に過越を祝いたい、と先生が言っております。』」弟子たちはイエスが命じられたとおりにして、過越の用意をした。

夕方になって、イエスは十二人と一緒に食卓に着かれた。皆が食事をしているとき、イエスは言われた。「まことに、あなたがたに言います。あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ります。」弟子たちはたいへん悲しんで、一人ひとりイエスに「主よ、まさか私ではないでしょう」と言い始めた。イエスは答えられた。「わたしと一緒に手を鉢に浸した者がわたしを裏切ります。人の子は、自分について書かれているとおりに去って行きます。しかし、人の子を裏切るその人はわざわいです。そういう人は、生まれて来なければよかったのです。」

 すると、イエスを裏切ろうとしていたユダが「先生、まさか私ではないでしょう」と言った。イエスは彼に「いや、そうだ」と言われた。”
マタイの福音書 26章14節〜25節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
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その時=一人の女性がイエスの頭にナルドの香油を注いだ時

ユダの思い(岩本の想像)=「これはメシアの油注ぎだ。イエスは本当にイスラエルの王となるために戦うのか?絶対に成功するはずがない。イエスと一緒に殺されるのは御免だ。」

銀貨30枚
=モーセの律法時代における奴隷一人の値段
キリストの時代には、その数倍となっていた。銀貨30枚は人の売買をする金額ではなかった。
→ユダは金のためにイエスを売ったのではなかった。

=イエスのグループから抜けたかった。イエスのグールプではないということを世の支配者に認めてもらいたかった。窃かにイエスを引き渡せば、戦いにもならず、イエスも殺されずに済むかもしれない。ユダはイエスを殺したいと思ったわけではない。生きて欲しかった。しかし、自分が助かるためには、イエスを引き渡すしかない。

「裏切る」と訳されている言葉paradidómi
=「引き渡す」

ユダ→イエスを引き渡した
他の弟子たち→イエスを見捨てて逃げた
両者とも裏切っているように見えるが、積極的関与か逃亡かは、大きな違い。

ユダ→自分の意志で行った「引き渡し」という行為について、自分で決着をつけなければならなくなる。

「しかし、人の子を引き渡すその人はわざわいです(ouai呪いの言葉ではない。滅んでいく者への慟哭)。そういう人は、生まれて来なければよかったのです。」イエスは、最後までユダに対して怒りを燃やしたり、呪ったりなさらなかったが、ユダは自分で自分の存在を呪うことになる。
→自殺

他の弟子たち→恐ろしくて逃げた →復活の主との再会、立ち直りの道が開かれる 

“キリストも一度、罪のために苦しみを受けられました。正しい方が正しくない者たちの身代わりになられたのです。(原文にはない)ために。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、あなたがたを神に導くためでした。その霊においてキリストは、捕らわれている霊たちのところに行って宣言されました。かつてノアの時代に、箱舟が造られていた間、神が忍耐して待っておられたときに従わなかった霊たちにです。その箱舟に入ったわずかの人たち、すなわち八人は、水を通って救われました。”
ペテロの手紙 第一 3章18~20節

“すなわち、あなたがたと、私の霊が、私たちの主イエスの名によって、しかも私たちの主イエスの御力とともに集まり、そのような者を、その肉が滅ぼされるようにサタンに引き渡したのです。それによって彼の霊が主の日に救われるためです。”コリント人への手紙 第一 5章4~5節

罪の報いによる滅び=この世における裁き
死後の裁きについては、人の目には隠されている。

聖書は地獄に落ちた者たちに語りかける神がいると語る。

使徒信条
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。 我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、おとめマリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人の内よりよみがえり、天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより来たりて、生ける者と死にたる者とを審きたまわん。我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、とこしえの命を信ず。アーメン

陰府に降り
=地獄の底に立つ
=神もいないと言われる地獄の底を御自身の存在で満たす
→地獄に落ちた霊に語りかけるため
=十字架の目的は、全てのものと一つとなるため

私たちにとって大切なこと
・ユダが結局どうなったかを考えることではない。
・主イエスが何をなさったのかに私たちの心の目を向けること。

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