「マタイの福音書」連続講解説教

キリストは悪霊を滅ぼす

マタイの福音書第8章28節〜34節
岩本遠億牧師
2020年3月1日

“さて、イエスが向こう岸のガダラ人の地にお着きになると、悪霊につかれた人が二人、墓場から出て来てイエスを迎えた。彼らはひどく狂暴で、だれもその道を通れないほどであった。すると見よ、彼らが叫んだ。「神の子よ、私たちと何の関係があるのですか。まだその時ではないのに、もう私たちを苦しめに来たのですか。」そこから離れたところに、多くの豚の群れが飼われていた。悪霊どもはイエスに懇願して、「私たちを追い出そうとされるのでしたら、豚の群れの中に送ってください」と言った。イエスは彼らに「行け」と言われた。それで、悪霊どもは出て行って豚に入った。すると見よ。その群れ全体が崖を下って湖になだれ込み、水におぼれて死んだ。飼っていた人たちは逃げ出して町に行き、悪霊につかれていた人たちのことなどを残らず知らせた。すると見よ、町中の人がイエスに会いに出て来た。そして、イエスを見ると、その地方から立ち去ってほしいと懇願した。”マタイの福音書 8章28~34節

イエス・キリスト
キリスト=油注がれた者
     =大祭司、王

イエスはキリストである
=イエスは全世界の王であるとの告白

王=民を苦しめる敵を倒し、民の命を守り、平和を与える者

湖の嵐を治める王

海=悪霊の住みか

悪霊を叱りつけ、一言で従わせる王

“さて、イエスが向こう岸のガダラ人の地にお着きになると、悪霊につかれた人が二人、墓場から出て来てイエスを迎えた。彼らはひどく狂暴で、だれもその道を通れないほどであった。

悪霊=墓場を住処とする
     墓場から出てきて人の行く手を阻む

滅びから出てきて、命の道を阻む
滅びに引きずり込む

すると見よ、彼らが叫んだ。「神の子よ、私たちと何の関係があるのですか。まだその時ではないのに、もう私たちを苦しめに来たのですか。」

イエスを「神の子」と呼んだのは、悪霊が先
悪霊は、イエスの本質を見抜いている。
悪霊は、イエスが悪霊を滅ぼす方であることを知っている。

人の本質が神の姿に似せて造られた尊い存在であることも知っている。

悪霊が人を苦しめるのは、人が神の姿に似せて造られた尊い存在であることを知っているから。

終わりの時、神が悪霊を滅ぼされる時まで、人を卑しめ、汚し、滅びに引きずり込む自由があると思っている。

悪霊の主張
=終わりの時(最後の審判の時)はまだ来ていない。
=神が悪霊を滅ぼす時はまだ来ていない。

“ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べ伝えて言われた。「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」”マルコの福音書 1章14~15節


クロノス=流れとしての時間の概念
カイロス=区切られた時間の概念

イエス・キリストの到来と共に終わりの時(=最後の審判の時)は始まった

そこから離れたところに、多くの豚の群れが飼われていた。悪霊どもはイエスに懇願して、「私たちを追い出そうとされるのでしたら、豚の群れの中に送ってください」と言った。

悪霊の懇願
まだ滅ぼさないでほしい。
人の中ではなく、豚の中で生き延びさせてほしい

イエスは彼らに「行け」と言われた。それで、悪霊どもは出て行って豚に入った。すると見よ。その群れ全体が崖を下って湖になだれ込み(単数形) 、水におぼれて死んだ(複数形)。
      ↓
豚の群れ全体と一緒に悪霊も死んだ

最後の審判の時とは、悪霊が打ち倒され、滅ぼされるのを、私たちが目撃する、今のこの時

ルカの福音書 10章17~24節
“さて、七十二人が喜んで帰って来て言った。「主よ。あなたの御名を用いると、悪霊どもでさえ私たちに服従します。」イエスは彼らに言われた。「サタンが稲妻のように天から落ちるのを、わたしは見ました。確かにわたしはあなたがたに、蛇やサソリを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けました。ですから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。しかし、霊どもがあなたがたに服従することを喜ぶのではなく、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」ちょうどそのとき、イエスは聖霊によって喜びにあふれて言われた。「天地の主であられる父よ、あなたをほめたたえます。あなたはこれらのことを、知恵ある者や賢い者には隠して、幼子たちに現してくださいました。そうです、父よ、これはみこころにかなったことでした。すべてのことが、わたしの父からわたしに渡されています。子がだれであるかは、父のほかはだれも知りません。また父がだれであるかは、子と、子が父を現そうと心に定めた者のほかは、だれも知りません。」それからイエスは、弟子たちの方を振り向いて、彼らだけに言われた。「あなたがたが見ているものを見る目は幸いです。あなたがたに言います。多くの預言者や王たちは、あなたがたが見ているものを見たいと願ったのに、見られず、あなたがたが聞いていることを聞きたいと願ったのに、聞けませんでした。」”

最後の審判の時とは、悪霊が打ち倒され、滅ぼされるのを、私たちが目撃する、今のこの時
主イエスは、聖霊としてやって来られ、今もこの業をなしておられる。
主はお命じになった。「聖霊を受けよ」と。

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