「ルカの福音書」 連続講解説教

ルカの福音書講解(31) 心の宝箱

ルカの福音書6章39節から49節
岩本遠億牧師
2012年5月6日

6:39 イエスはまた一つのたとえを話された。「いったい、盲人に盲人の手引きができるでしょうか。ふたりとも穴に落ち込まないでしょうか。

6:40 弟子は師以上には出られません。しかし十分訓練を受けた者はみな、自分の師ぐらいにはなるのです。

6:41 あなたは、兄弟の目にあるちりが見えながら、どうして自分の目にある梁には気がつかないのですか。

6:42 自分の目にある梁が見えずに、どうして兄弟に、『兄弟。あなたの目のちりを取らせてください。』と言えますか。偽善者たち。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうしてこそ、兄弟の目のちりがはっきり見えて、取りのけることができるのです。

6:43 悪い実を結ぶ良い木はないし、良い実を結ぶ悪い木もありません。

6:44 木はどれでも、その実によってわかるものです。いばらからいちじくは取れず、野ばらからぶどうを集めることはできません。

6:45 良い人は、その心の良い倉から良い物を出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を出します。なぜなら人の口は、心に満ちているものを話すからです。

6:46 なぜ、わたしを『主よ、主よ。』と呼びながら、わたしの言うことを行なわないのですか。

6:47 わたしのもとに来て、わたしのことばを聞き、それを行なう人たちがどんな人に似ているか、あなたがたに示しましょう。

6:48 その人は、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて、それから家を建てた人に似ています。洪水になり、川の水がその家に押し寄せたときも、しっかり建てられていたから、びくともしませんでした。

6:49 聞いても実行しない人は、土台なしで地面に家を建てた人に似ています。川の水が押し寄せると、家は一ぺんに倒れてしまい、そのこわれ方はひどいものとなりました。」

15:5 わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。ヨハネの福音書15:5

3:17 主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。

3:18 私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。第二コリント3:17-18

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