「マルコの福音書」 連続講解説教

人は悪魔に勝った

マルコの福音書第15章33節〜41節
岩本遠億牧師
2018年2月18日

15:33さて、十二時になったとき、全地が暗くなって、午後三時まで続いた。 15:34そして、三時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ。」と叫ばれた。それは訳すと「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。 15:35そばに立っていた幾人かが、これを聞いて、「そら、エリヤを呼んでいる。」と言った。 15:36すると、ひとりが走って行って、海綿に酸いぶどう酒を含ませ、それを葦の棒につけて、イエスに飲ませようとしながら言った。「エリヤがやって来て、彼を降ろすかどうか、私たちは見ることにしよう。」 15:37それから、イエスは大声をあげて息を引き取られた。 15:38神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。 15:39イエスの正面に立っていた百人隊長は、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「この方はまことに神の子であった。」と言った。 15:40また、遠くのほうから見ていた女たちもいた。その中にマグダラのマリヤと、小ヤコブとヨセの母マリヤと、またサロメもいた。 15:41イエスがガリラヤにおられたとき、いつもつき従って仕えていた女たちである。このほかにも、イエスといっしょにエルサレムに上って来た女たちがたくさんいた。

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15:33さて、十二時になったとき、全地が暗くなって、午後三時まで続いた。

日食ではない
日食=新月と太陽が重なる
復活祭=満月の時

暗闇が全地を覆った
世の光イエス・キリストが取り去られた。

ヨハネの福音書
12:35 イエスは彼らに言われた。「まだしばらくの間、光はあなたがたの間にあります。闇があなたがたを襲うことがないように、、あなたがたは、光がある間に歩きなさい。闇の中を歩く者は、自分がどこに行くのはわかりません。 36 あなたがたに光がある間に、光の子となるために、光を信じなさい。」

「エロイ、エロイ、 ラマ サバクタニ」 アラム語
「エリ、エリ、レマ アザブタニ」 ヘブライ語 詩篇22篇1節

我が神、我が神、なぜわたしを見捨てたのですか。

エロヒー(アラム語)、エリー(ヘブライ語)を「エリヤ」とローマ兵が聞き間違えた

ユダヤ会堂ではヘブライ語で聖書が読まれ、訳や解説等はアラム語で行われていた。恐らく、詩篇22篇イエス愛唱の詩篇の一つで、ヘブライ語と共にアラム語でも、よく引用していたのではないか(加藤常昭牧師)

詩篇22篇
前半、神から見捨てられ、敵に苦しめられる苦しみ
後半、賛美と喜び

主イエスは、苦しみのあまり、絶望してこの言葉を発したのではない。神に見捨てられる人間に代わって絶望したのでもない。主イエスは、この苦しみ、神様から断絶した苦しみを一人で受けなければならないことは分かっていた。分かっていて、敢えて自ら十字架に架けられた。

父なる神様も敢えて、主イエスから離れ、助けない。

神様の助けのないただ一人という状況の中で、義なる人が悪魔との戦いを戦い抜く
→完全な人間として悪魔との戦いに勝利

ヘブル人への手紙
5:8キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、 5:9完全な者とされ、彼に従うすべての人々に対して、とこしえの救いを与える者となり、

詩篇22:1 わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか。遠く離れて私をお救いにならないのですか。私のうめきのことばにも。
22:2 わが神。昼、私は呼びます。しかし、あなたはお答えになりません。夜も、私は黙っていられません。
22:3 けれども、あなたは聖であられ、イスラエルの賛美を住まいとしておられます。

3節別訳
あなたは聖であります。イスラエルの賛美を待っておられます。
あなたは聖であり、御座につき、イスラエルの賛美です。

エリ、エリ
私の神様、私の神様
2度名を呼ぶ=確実な応答を求める時

「アブラハム、アブラハム」(イサクを捧げようとするアブラハムを止める時)
「モーセ、モーセ」(モーセを解放者として召命する時)
「サムエル、サムエル」(預言者として召命する時)
「ペテロ、ペテロ」(イエス否認を予告する時)
「サウル、サウル」(迫害者サウルの本質を呼び起こす時)

・父なる神様の主イエスに対する深い信頼
・主イエスの神様に対する深い信頼の呼びかけ

→完全な人→悪魔に対する人の勝利
=とこしえの救いを与える者
→その血が完全な贖いを成し遂げた

15:37それから、イエスは大声をあげて息を引き取られた。 15:38神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。
=十字架刑による死とは異なる死(ピラトの驚き)
=自らの命(血)を肉体から解放した
=ご自身の命(血)を至聖所の中に持って入られた

ヘブル人への手紙
9:11しかしキリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、手で造った物でない、言い替えれば、この造られた物とは違った、さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、 9:12また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所にはいり、永遠の贖いを成し遂げられたのです。 9:13もし、やぎと雄牛の血、また雌牛の灰を汚れた人々に注ぎかけると、それがきよめの働きをして肉体をきよいものにするとすれば、 9:14まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。

10:11また、すべて祭司は毎日立って礼拝の務めをなし、同じいけにえをくり返しささげますが、それらは決して罪を除き去ることができません。 10:12しかし、キリストは、罪のために一つの永遠のいけにえをささげて後、神の右の座に着き、 10:13それからは、その敵がご自分の足台となるのを待っておられるのです。 10:14キリストはきよめられる人々を、一つのささげ物によって、永遠に全うされたのです。

10:19こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです。 10:20イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです。 10:21また、私たちには、神の家をつかさどる、この偉大な祭司があります。 10:22そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。

ヨハネの手紙第一1:7
御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。

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