「マタイの福音書」連続講解説教

全人類の王がここにいる

マタイの福音書第16章21節〜23節
岩本遠億牧師
2020年10月25日

マタイの福音書第16章21節〜23節
 そのときからイエスは、ご自分がエルサレムに行って、長老たち、祭司長たち、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、三日目によみがえらなければならないことを、弟子たちに示し始められた。すると、ペテロはイエスをわきにお連れして、いさめ始めた。「主よ、とんでもないことです。そんなことがあなたに起こるはずがありません。」しかし、イエスは振り向いてペテロに言われた。「下がれ、サタン。あなたは、わたしをつまずかせるものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」

先週の箇所 マタイの福音書16章13節〜20節
さて、ピリポ・カイサリアの地方に行かれたとき、イエスは弟子たちに「人々は人の子をだれだと言っていますか」とお尋ねになった。彼らは言った。「バプテスマのヨハネだと言う人たちも、エリヤだと言う人たちもいます。またほかの人たちはエレミヤだとか、預言者の一人だとか言っています。」イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」シモン・ペテロが答えた。「あなたは生ける神の子キリストです。」すると、イエスは彼に答えられた。「バルヨナ・シモン、あなたは幸いです。このことをあなたに明らかにしたのは血肉ではなく、天におられるわたしの父です。そこで、わたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。よみの門もそれに打ち勝つことはできません。わたしはあなたに天の御国の鍵を与えます。あなたが地上でつなぐことは天においてもつながれ、あなたが地上で解くことは天においても解かれます。」そのときイエスは弟子たちに、ご自分がキリストであることをだれにも言ってはならない、と命じられた。

キリスト(=メシア)についてのイスラエルでの理解
=軍事的、政治的王
=外敵からイスラエルを守り、イスラエルに平和をもたらす
→ペテロの告白もこの理解に基づいている

「あなたこそ生ける神の子であり、イスラエルの王です。」
=政治的・軍事的な王という告白

イエスは、このような的外れの告白さえ喜ばれた。この岩の上にわたしの教会(召団)を建てると。

この時からキリストの本質とは何かを教え始める
×軍事的・政治的王

長老たち・・・イスラエルの権力者
祭司長たち・・・宗教的権力者
律法学者たち・・・学問的権力者
=イスラエル最高議会のメンバー
→イスラエルの最高権威によって苦しめられ、殺される

十字架につけて殺す・・・ローマ帝国の権威
→この世の権威者、最高権威によって苦しめられ殺される

しかし三日目に甦る
=死に支配されない者、死に打ち勝つ者
=真のキリスト(=メシア)の本質

ヨナ書
×歴史書
○預言書=物語形式によってメシアの死と復活を預言

ヨナ書 1章17節
主は大きな魚を備えて、ヨナを吞み込ませた。ヨナは三日三晩、魚の腹の中にいた。=死んだ

 ヨナは魚の腹の中から、自分の神、主に祈った。
 「苦しみの中から、私は主に叫びました。すると主は、私に答えてくださいました。よみの腹から私が叫び求めると、あなたは私の声を聞いてくださいました。あなたは私を深いところに、海の真中に投げ込まれました。潮の流れが私を囲み、あなたの波、あなたの大波がみな、私の上を越えて行きました。

 私は言いました。『私は御目の前から追われました。ただ、もう一度、私はあなたの聖なる宮を仰ぎ見たいのです。』水は私を取り巻き、喉にまで至り、大いなる水が私を囲み、海草は頭に絡みつきました。私は山々の根元まで下り、地のかんぬきは、私のうしろで永遠に下ろされました。しかし、私の神、主よ。あなたは私のいのちを滅びの穴から引き上げてくださいました。
 私のたましいが私のうちで衰え果てたとき、私は主を思い出しました。私の祈りはあなたに、あなたの聖なる宮に届きました。
 空しい偶像に心を留める者は、自分への恵みを捨て去ります。しかし私は、感謝の声をあげて、あなたにいけにえを献げ、私の誓いを果たします。救いは主のものです。」

ヨナ書 2章10節
主は魚に命じて、ヨナを陸地に吐き出させた=甦った
ヨナの宣教によってアッシリア王と全国民が悔い改めた
=キリストの復活に続く宣教によって全世界が悔い改める

イエスの宣言
「悪い、姦淫の時代はしるしを求める。しかし、ヨナのしるし以外は与えられない。」マタイ16:4

イエスは、ヨナ書の預言が自分において実現するとの自覚を持っておられた
→殺されて、必ず復活し、全世界を神への立ち帰り(=救い)に導く
=これこそが真のキリスト(=メシア)

すると、ペテロはイエスをわきにお連れして、いさめ始めた。「主よ、とんでもないことです。そんなことがあなたに起こるはずがありません。」

しかし、イエスは振り向いてペテロに言われた。「下がれ、サタン。
=誘惑の山でのサタンに対することばと同じ(マタイ4:7-10)
→イエスはペテロの言葉にサタンの誘惑を感じた。

「あなたは、わたしをつまずかせるもだ(躓きの岩)だ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」

イエスの戦いは、世の権力者との戦いではなかった。
ユダヤ議会もローマ皇帝も戦いの相手ではなかった。
イエスの戦いは、サタンとの戦い。

サタンの企て
=この世の権威と妥協、結託させてイエスを王とする
=パリサイ主義、サドカイ主義の偽善と妥協させる

この世の権威、権力を与えよう、既存の権威と妥協させようとするサタンを退ける戦い。
人の世界で生きていく上では妥協や調整が必要な場合がある。
しかし、サタンとの対決において妥協や調整が入り込む余地はない。

→必ず苦しめられ、殺される。
→しかし、必ず甦る

なぜ、イエスはサタンとの戦いに勝利しなければならないと考えていたのか?

サタンに勝利しなければならないのは人であって、神ではない←サタンが人を誘惑し、罪に引き摺り込んだ。

サタンは神の相手ではない。
神は人にサタンとの戦いに勝利させようとなさる
←人は神の姿に創造された。

キリストの目的=人としてサタンとの戦いに完全勝利

ペテロは、キリストが教会を建てる岩盤なのか?
それとも、サタンの代弁者となる躓きの岩なのか?

ペテロは石ころ
聖霊こそが彼を岩盤とした。
イエスは、聖霊が石ころを岩盤とすることを見抜いておられた。

サタンとの戦いに完全勝利したイエス・キリストの十字架の血(=聖霊)が石ころを岩盤とする。

我らの王イエス・キリストの十字架の血を讃えよ!

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