「マルコの福音書」 連続講解説教

前に進むために

マルコの福音書第15章42節〜47節
岩本遠億牧師
2018年2月25日

15:42すっかり夕方になった。その日は備えの日、すなわち安息日の前日であったので、 15:43アリマタヤのヨセフは、思い切ってピラトのところに行き、イエスのからだの下げ渡しを願った。ヨセフは有力な議員であり、みずからも神の国を待ち望んでいた人であった。 15:44ピラトは、イエスがもう死んだのかと驚いて、百人隊長を呼び出し、イエスがすでに死んでしまったかどうかを問いただした。 15:45そして、百人隊長からそうと確かめてから、イエスのからだをヨセフに与えた。 15:46そこで、ヨセフは亜麻布を買い、イエスを取り降ろしてその亜麻布に包み、岩を掘って造った墓に納めた。墓の入口には石をころがしかけておいた。 15:47マグダラのマリヤとヨセの母マリヤとは、イエスの納められる所をよく見ていた。

葬ることの重要性
聖書で「葬る」144回=死者の尊厳を守る
西洋の「葬り」の概念との違い

伝道者の書6:3
もし人が百人の子どもを持ち、多くの月日を生き、彼の年が多くなっても、彼が幸いで満たされることなく、墓にも葬られなかったなら、私は言う、死産の子のほうが彼よりましだと。

エレミヤ書
16:3 まことに、主は、この所で生まれる息子や娘につき、また、この国で、彼らを産む母親たちや、彼らを生ませる父親たちについて、こう仰せられる。
4 「彼らはひどい病気で死ぬ。彼らはいたみ悲しまれることなく、葬られることもなく、地面の肥やしとなる。また、剣とききんで滅ぼされ、しかばねは空の鳥や地の獣のえじきとなる。」


15:42すっかり夕方になった。その日は備えの日、すなわち安息日の前日であったので、 15:43アリマタヤのヨセフは、思い切ってピラトのところに行き、イエスのからだの下げ渡しを願った。ヨセフは有力な議員であり、みずからも神の国を待ち望んでいた人であった。

ピラトと面識?
ローマ市民権所有?

何にせよ、ローマ帝国の決定に反する行為
ユダヤ議会の決定に反する行為

何がヨセフをこのような行為に向かわせたのか?

主イエスの裁きが行われているユダヤ議会で主イエスを弁護することができなかった不甲斐ない自分
     ↓
自分の正しさを主張せず、十字架に向かう主イエスの姿を目撃
     ↓
十字架の上の主イエスの姿を見上げる
     ↓
ローマの百人隊長が「この方は、まことに神の子であった」と告白せざるを得なかった主イエスの最期を目撃
     ↓
ヨセフ自身も、この方を「神の子」「真の王」と告白せずにいられない。←ヨセフ自身も神の国を待ち望んでいた。
     ↓
自分が持つ社会的地位と財産を用いて、この方を葬る


使徒信条
主は聖霊によりてやどり、おとめマリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、
死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人の内よりよみがえり、天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり。

ハイデルベルク信仰問答
問41:なぜこの方は「葬られた」のですか。
答: それによって、この方が本当に死なれたということを証しするためです。

主イエスが100%人間として死んだことの証し

ヘブル人への手紙
2:14そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、 2:15一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。

悪魔の死の力:罪→死(=滅び)

イエス・キリストの力:贖いの血→命を与える死
             =悪魔の力の及ばない死
                  ↓
              悪魔の力を滅ぼす
              死に全く新しい意味と局面

主イエスは、死において私たちと一つに
私たちは、死において主イエスと一つに
→復活の希望
葬りなしに復活もなし

ローマ人への手紙
6:4私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。 6:5もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。

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