「マタイの福音書」連続講解説教

必ず聞かれる祈り

マタイの福音書 第18章15~20節
岩本遠億牧師
2020年12月13日

「また、もしあなたの兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで指摘しなさい。その人があなたの言うことを聞き入れるなら、あなたは自分の兄弟を得たことになります。もし聞き入れないなら、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。二人または三人の証人の証言によって、すべてのことが立証されるようにするためです。それでもなお、言うことを聞き入れないなら、教会に伝えなさい。教会の言うことさえも聞き入れないなら、彼を異邦人か取税人のように扱いなさい。まことに、あなたがたに言います。何でもあなたがたが地上でつなぐことは天でもつながれ、何でもあなたがたが地上で解くことは天でも解かれます。まことに、もう一度あなたがたに言います。あなたがたのうちの二人が、どんなことでも地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父はそれをかなえてくださいます。二人か三人がわたしの名において集まっているところには、わたしもその中にいるのです。」マタイの福音書 18章15~20節

聖書テキストは文単位ではなく、談話単位で理解する必要。

今日の箇所の前後
前:この小さな者の一人が滅びることはあなたがたの天の父の御心ではない。
後ろ:7を70倍するほど赦せ。

取税人か異邦人のように見なしなさい。

一般的理解
取税人:売国奴
異邦人:神の契約と救いに無関係

この福音書を書いたのは誰か?
  取税人マタイ・・・この箇所を理解する上で重要

これ以前の異邦人に対する宣教(マタイの福音書)
1.百人隊長の僕の癒し
2.多くの悪霊に憑かれたゲラサ人の男性の救い
3.ツロ、フェニキアの女性の娘の救い
4.4千人給食(異邦人)

従って、ここでの教えは、罪を犯したクリスチャンを教会がどのように裁き、処分するかということを教えるのが主題ではない。
赦しと回復が主題である

また、もしあなたの兄弟があなたに対して罪を犯したなら、              ↑
               多くの重要な写本にない
               
個人的な対立、損害を問題にしているのではない。
→兄弟が罪を犯しているのをあなたが知ったら。

兄弟=神を信じる仲間
罪=神から離れていること、神に背を向けていること

信仰の仲間が神から離れてしまっていたら、行って、二人だけのところで指摘しなさい。
=恥ずかしい思いをさせてはいけない。迷子になった1匹の羊を探しに行け。

その人があなたの言うことを聞き入れるなら、あなたは自分の兄弟を得たことになります。

もし聞き入れないなら、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。二人または三人の証人の証言によって、すべてのことが立証されるようにするためです。

=罪を罪のまま放置してはいけない。信頼できる人と一緒に救いに行け。
→放置すると迷子になった羊が滅んでしまうから

それでもなお、言うことを聞き入れないなら、教会に伝えなさい。教会の言うことさえも聞き入れないなら、彼を異邦人か取税人のように扱いなさい。

異邦人か取税人のように扱う(「扱う」という言葉はない。「見做す」がより適当。)

あなたにとって異邦人か取税人のようなものとせよ

一般のユダヤ人にとっての異邦人、取税人とは?
  神の約束と救いに関係がない者、売国奴

主イエスにとっての異邦人、取税人とは?
  神の愛の対象、共に食事をする仲

ここで行われるのは上から目線の指導、勧告か?

「まことに、もう一度あなたがたに言います。あなたがたのうちの二人が、どんなことでも地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父はそれをかなえてくださいます。二人か三人がわたしの名において集まっているところには、わたしもその中にいるのです。」

二人=迷子になった人と探しに行く人

心を一つにして=裁くものと裁かれる者の対立がない
探しに行く者も、迷子になった者と共に同じ祈りを捧げる。

「私たちは罪を犯しました。罪人の私たちをお赦しください。」

「ダニエルの祈り」 「ネヘミヤの祈り」

ネヘミヤ記 1章5~7節 バビロン捕囚後

「ああ、天の神、主よ。大いなる恐るべき神よ。主を愛し、主の命令を守る者に対して、契約を守り、恵みを下さる方よ。どうか、あなたの耳を傾け、あなたの目を開いて、このしもべの祈りを聞いてください。私は今、あなたのしもべイスラエルの子らのために、昼も夜も御前に祈り、私たちがあなたに対して犯した、イスラエルの子らの罪を告白しています。まことに、私も私の父の家も罪を犯しました。 私たちはあなたに対して非常に悪いことをして、あなたのしもべモーセにお命じになった、命令も掟も定めも守りませんでした。」

イエスが来られた目的
=罪のないイエスが、全人類の罪を自分の罪として告白し、その罪を背負うためであった。

わたしの名によって集まるとは
=誰一人「自分は正しい」とは言わない集い
=私たちの罪をお赦し下さいと全員が祈る集い

どんなことでも=罪の赦し、存在の回復の祈り

まことに、あなたがたに言います。何でもあなたがたが地上でつなぐ(=縛る)ことは天でもつながれ(=縛られており)、何でもあなたがたが地上で解く(=赦す)ことは天でも解かれ(=赦され)ます。

まことに、もう一度あなたがたに言います。あなたがたのうちの二人が、どんなことでも地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父はそれをかなえてくださいます。

二人か三人がわたしの名において集まっているところには、わたしもその中にいるのです。

教会に与えられた権威
=自分が罪人であることを全員が知り、共に罪を悔い、共に祈る。
→天が動き、地が動く

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