「マタイの福音書」連続講解説教

愛は一つになる

マタイの福音書第8章1節〜4節
岩本遠億牧師
2020年1月19日

イエスが山から下りて来られると、大勢の群衆がイエスに従った。すると見よ。ツァラアトに冒された人がみもとに来て、イエスに向かってひれ伏し、「主よ、お心一つで私をきよくすることがおできになります」と言った。イエスは手を伸ばして彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ」と言われた。すると、すぐに彼のツァラアトはきよめられた。イエスは彼に言われた。「だれにも話さないように気をつけなさい。ただ行って自分を祭司に見せなさい。そして、人々への証しのために、モーセが命じたささげ物をしなさい。」

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ツァラアト=ハンセン病を含む重い皮膚病

祭司による診断
→隔離、人との接触の禁止
癒された場合の社会復帰規定

“彼はツァラアトに冒された者であって、この者は汚れている。祭司は彼を汚れていると必ず宣言する。その患部が頭にあるからである。
患部があるツァラアトに冒された者は自分の衣服を引き裂き、髪の毛を乱し、口ひげをおおって、『汚れている、汚れている』と叫ぶ。
その患部が彼にある間、その人は汚れたままである。彼は汚れているので、ひとりで住む。宿営の外が彼の住まいとなる。”
レビ記 13章44~46節

イエスは、パリサイ派の一派、敬虔派ハシディームの学者であった
パリサイ派:主流派と敬虔派
・主流派:「神よ」「主よ」と呼びかける。祈りによって奇跡が起こるとは信じていない。
・敬虔派(ハシディーム):「我が父」「天の父」と呼びかける。天の父が祈りに答えて奇跡を起こしてくれると信じている。

S・サフライ『キリスト教成立の背景としてのユダヤ教世界』

「汚れたものに触れるものは汚れる。‥罪に定められる。」(レビ記5:2-3)
→罪の贖いの儀式を受ける必要

言葉だけで癒す権威を持った主イエス
なぜ、この人に触れたのか?

ジョゼフ・ダミエン神父 1841〜1889
ベルギーに生まれる。
22歳 ハワイ伝道へ
33歳 モロカイ島に入る

全世界から集められたハンセン病患者の隔離施設 三方が海、一方が断崖絶壁

ありとあらゆる犯罪、ありとあらゆる不道徳←絶望と廉恥心の喪失

会堂を掃除、修理、再建
孤児院を建てる。患者の子供たちを集め養育
死んだ患者を手厚く葬る
    ↓
患者たちの中に人間の心が回復 

少しずつ心を開いて行く患者たち。
道徳の回復。

43歳 ハンセン病発病←患者のコック、患者のお手伝いさん。同じ食器、同じ生活

「もし、病気が回復したらこの地から召還されるのであれば、病気が治らないことを願う。」

彼らと一つであることを願い続けたダミエン。   

墓碑「ダミエンは、最初、彼らハンセン病患者を野獣より人間に変えた。更に、今や、彼らを人間より神の子供たちに変えた。」  

「父よ。あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちのうちにいるようにしてください。あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるようになるためです。またわたしは、あなたが下さった栄光を彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。わたしは彼らのうちにいて、あなたはわたしのうちにおられます。彼らが完全に一つになるためです。また、あなたがわたしを遣わされたことと、わたしを愛されたように彼らも愛されたことを、世が知るためです。」ヨハネの福音書 17章21~23節

「人がその友のためにいのちを捨てること、それよりも大いなる愛はない。」
ヨハネの福音書 15章13節

「見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」ヨハネの黙示録 3章20節

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