「マタイの福音書」連続講解説教

戦いの相手を見誤るな

マタイの福音書第26章47節〜56節
岩本遠億牧師
2021年7月25日

“イエスがまだ話しておられるうちに、見よ、十二人の一人のユダがやって来た。祭司長たちや民の長老たちから差し向けられ、剣や棒を手にした大勢の群衆も一緒であった。
イエスを裏切ろうとしていた者は彼らと合図を決め、「私が口づけをするのが、その人だ。その人を捕まえるのだ」と言っておいた。
それで彼はすぐにイエスに近づき、「先生、こんばんは」と言って口づけした。
イエスは彼に「友よ、あなたがしようとしていることをしなさい」と言われた。そのとき人々は近寄り、イエスに手をかけて捕らえた。
すると、イエスと一緒にいた者たちの一人が、見よ、手を伸ばして剣を抜き、大祭司のしもべに切りかかり、その耳を切り落とした。
そのとき、イエスは彼に言われた。「剣をもとに収めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。
それとも、わたしが父にお願いして、十二軍団よりも多くの御使いを、今すぐわたしの配下に置いていただくことが、できないと思うのですか。
しかし、それでは、こうならなければならないと書いてある聖書が、どのようにして成就するのでしょう。」
また、そのとき群衆に言われた。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持ってわたしを捕らえに来たのですか。わたしは毎日、宮で座って教えていたのに、あなたがたはわたしを捕らえませんでした。
しかし、このすべてのことが起こったのは、預言者たちの書が成就するためです。」そのとき、弟子たちはみなイエスを見捨てて逃げてしまった。”
マタイの福音書 26章47~56節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

剣や棍棒をもった大勢の群衆
→イエスの奇跡的力を恐れた

口づけによるユダの裏切り

「先生、こんばんは」???

新約聖書のヘブライ語訳
あなたに平安があるように!

熱烈な口づけ=何度も口づけをした→合図のため
本来師に対する尊敬を表す挨拶
→それを何度も繰り返す=師に対する侮辱

しかし、そのユダに対してイエスは怒りを抱かない
「友よ」と呼びかける主イエス。

この箇所を理解する鍵
=神は悪魔に支配された世界を奪還するために、まずアブラハム、イサク、ヤコブにご自身を現し、その子孫(イスラエル)を拠点に愛と義の世界を実現しようとしてこられた。イスラエルが外敵から滅ぼされそうになると、天の軍勢によって敵を撃ち、イスラエルを守って来られた。

列王記II6:12-17

すると家来の一人が言った。「いいえ、わが主、王よ。イスラエルにいる預言者エリシャが、あなたが寝室の中で語られることばまでもイスラエルの王に告げているのです。」王は言った。「行って、彼がどこにいるかを突き止めよ。人を遣わして、彼を捕まえよう。」そのうちに、「今、彼はドタンにいる」という知らせが王にもたらされた。そこで、王は馬と戦車と大軍をそこに送った。彼らは夜のうちに来て、その町を包囲した。

神の人の召使いが、朝早く起きて外に出ると、なんと、馬と戦車の軍隊がその町を包囲していた。若者がエリシャに、「ああ、ご主人様。どうしたらよいのでしょう」と言った。すると彼は、「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから」と言った。そして、エリシャは祈って主に願った。「どうか、彼の目を開いて、見えるようにしてください。」主がその若者の目を開かれたので、彼が見ると、なんと、火の馬と戦車がエリシャを取り巻いて山に満ちていた。”

列王記 第二 19章20節
アモツの子イザヤはヒゼキヤのところに人を送って言った。「イスラエルの神、主はこう言われる。『あなたがアッシリアの王センナケリブについて、わたしに祈ったことを、わたしは聞いた。』

列王記 第二 19章32~36節

それゆえ、アッシリアの王について、主はこう言われる。『彼はこの都に侵入しない。また、ここに矢を放たず、これに盾をもって迫らず、塁を築いてこれを攻めることもない。彼は、もと来た道を引き返し、この都には入らない──主のことば──。わたしはこの都を守って、これを救う。わたしのために、わたしのしもべダビデのために。』」その夜、主の使いが出て行き、アッシリアの陣営で十八万五千人を打ち殺した。人々が翌朝早く起きて見ると、なんと、彼らはみな死体となっていた。アッシリアの王センナケリブは陣をたたんで去り、帰ってニネベに住んだ。

ラキシュ(エルサレムから45kmほど南西の城壁のある街)を滅ぼしたアッシリア王センナケリブのレリーフ
首を斬られたラキシュの人々、手を縛られた人々
ラキシュの人々を崖(城壁?)から投げ落とすアッシリア兵

アッシリア帝国のセンナケリブがラキシュを滅亡させたのは歴史的事実として聖書以外にも記録。センナケリブはエルサレムをも滅ぼそうとした
        ↓
主の使いがセンナケリブの軍隊を殲滅しエルサレムを救った=歴史的事実

ルカの福音書 2章11~14節
“今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。」すると突然、その御使いと一緒におびただしい数の天の軍勢が現れて、神を賛美した。「いと高き所で、栄光が神にあるように。地の上で、平和がみこころにかなう人々にあるように。」”

伝道の生涯において、主イエスには、天の大軍勢が見えていた。また、一人一人に遣わされている天のみ使いたちも主イエスには見えていた。

“あなたがたは、この小さい者たちの一人を軽んじたりしないように気をつけなさい。あなたがたに言いますが、天にいる、彼らの御使いたちは、天におられるわたしの父の御顔をいつも見ているからです。”マタイの福音書 18章10節

そのとき、イエスは彼に言われた。「剣をもとに収めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。それとも、わたしが父にお願いして、十二軍団よりも多くの御使いを、今すぐわたしの配下に置いていただくことが、できないと思うのですか。しかし、それでは、こうならなければならないと書いてある聖書が、どのようにして成就するのでしょう。」

神ご自身もイスラエルの民を敵(アッシリアのセンナケリブ)から守る時、敵を討ち滅ぼした。出エジプトの時も同様。

「剣をとるものは、剣によって滅びる」とは何を意味するのか?

剣を取る者の敵=剣を取る者
剣を取る者は互いに滅ぼし合う
君は今は剣を捨てて逃げよ。

主イエスの真の敵は、剣によって戦う相手ではない。
主イエスがペテロに伝えたかった内容
=わたしの敵は剣をとって戦う相手ではない。わたしの戦う相手はサタンである。剣によって戦う相手ではない。君の真の敵も剣をとって戦う相手ではないことを知れ。

主イエスは悪魔との一騎討ちのために、人との戦いを放棄し、天の軍勢の援助を求めなかった。これこそ、悪魔との戦いに勝利する全人類の王の本質。
主イエスの十字架、十字架の血こそ、悪魔を打ち破る勝利である。

また、そのとき群衆に言われた。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持ってわたしを捕らえに来たのですか。わたしは毎日、宮で座って教えていたのに、あなたがたはわたしを捕らえませんでした。しかし、このすべてのことが起こったのは、預言者たちの書が成就するためです。」

ホセア書 6章1~2節
“さあ、主に立ち返ろう。主は私たちを引き裂いたが、また、癒やし、私たちを打ったが、包んでくださるからだ。主は二日の後に私たちを生き返らせ、三日目に立ち上がらせてくださる。私たちは御前に生きる。”

“終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。
悪魔の策略に対して堅く立つことができるように、神のすべての武具を身に着けなさい。
私たちの格闘は血肉に対するものではなく、支配、力、この暗闇の世界の支配者たち、また天上にいるもろもろの悪霊に対するものです。
ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、一切を成し遂げて堅く立つことができるように、神のすべての武具を取りなさい。
そして、堅く立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、
足には平和の福音の備えをはきなさい。
これらすべての上に、信仰の盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢をすべて消すことができます。
救いのかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち神のことばを取りなさい。
あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのために、目を覚ましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くして祈りなさい。”
エペソ人への手紙 6章10~18節

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