「マタイの福音書」連続講解説教

激しい言葉から守られて

マタイの福音書第5章21節〜26節
岩本遠億牧師
2019年7月28日

“昔の人々に対して、『殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に対して怒る者は、だれでもさばきを受けなければなりません(裁きを免れることはできない)。兄弟に『ばか者』と言う者は最高法院でさばかれます。『愚か者』と言う者は火の燃えるゲヘナに投げ込まれます。

ですから、祭壇の上にささげ物を献げようとしているときに、兄弟が自分を恨んでいることを思い出したなら、ささげ物はそこに、祭壇の前に置き、行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから戻って、そのささげ物を献げなさい。

あなたを訴える人とは、一緒に行く途中で早く和解しなさい。そうでないと、訴える人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれることになります。まことに、あなたに言います。最後の一コドラントを支払うまで、そこから決して出ることはできません。“

マタイの福音書 5章21~26節

地の塩、世の光とは、神の言葉によって神の灯火を心に与えられた者。
      ↓
どのように神の言葉を聞き取っていくのか?
      ↓
私たちはどう生きるのか?

あなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の御国に入れません。

天の御国
✕死んでから行く天国
○この地に行われる神の支配
➡︎あなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、あなたがたはこの地で行われる神の支配の祝福に決して関わることができない。

怒る→裁きを受けなければならない
兄弟に『ばか者』と言う→最高法院で裁かれる
『愚か者』と言う→火の燃えるゲヘナに投げ込まれる

一般の理解:心の中の怒りは殺人と同じ罪
     誰でも怒ったことはある
     →誰でも罪びと
     →地獄に落とされないためにイエス様を信じましょう

「天の御国に入れません」の理解に問題

“そこで主君は彼を呼びつけて言った。『悪い家来だ。おまえが私に懇願したから、私はおまえの負債をすべて免除してやったのだ。私がおまえをあわれんでやったように、おまえも自分の仲間をあわれんでやるべきではなかったのか。』こうして、主君(=神様)は怒って、負債をすべて返すまで彼を獄吏たちに引き渡した。” マタイの福音書 18章32~34節

“それで再び、次のように言って別のしもべたちを遣わした。『招待した客にこう言いなさい。「私は食事を用意しました。私の雄牛や肥えた家畜を屠り、何もかも整いました。どうぞ披露宴においでください」と。』ところが彼らは気にもかけず、ある者は自分の畑に、別の者は自分の商売に出て行き、残りの者たちは、王のしもべたちを捕まえて侮辱し、殺してしまった。王(=神様)は怒って軍隊を送り、その人殺しどもを滅ぼして、彼らの町を焼き払った。”
                  マタイの福音書 22章4~7節

「怒っても罪を犯してはなりません。」エペソ:4:26
怒れ!しかし、罪を犯すな!

聖書は、怒ること自体を悪、罪とは言っていない。

『愚か者』(moros)と言う
→火の燃えるゲヘナに投げ込まれる

ゲヘナ:エルサレムのゴミ捨て場、常時火でゴミを燃やし続けていた
→地獄のイメージとして定着

“わざわいだ、目の見えない案内人たち。おまえたちは言っている。『だれでも神殿にかけて誓うのであれば、何の義務もない。しかし、神殿の黄金にかけて誓うのであれば、果たす義務がある。』

愚か(moroi)で目の見えない者たち。黄金と、その黄金を聖なるものにする神殿と、どちらが重要なのか。“ マタイの福音書 23章16~17節

イエス・キリスト自身がパリサイ派律法学者たちを「愚か者」と呼んでおられる。

怒ること、人を愚か者と呼ぶこと自体が神に赦されることのない、罪ではない。
        ⬇︎
ここで裁き、最高法院(サンへドリン)、ゲヘナの火と言うのは、この世での現実的な裁きを意味する。

では、キリストのここで教えは何か?

弟子たちがこの世の裁きから守られるための知恵を授けている。

キリスト自身は、パリサイ派律法学者たちに「愚か者、目が見えない者」、「災いなるかな!」と激しい言葉を使っておられる。
=神様の怒り、神様の言葉の代弁
→パリサイ派律法学者たちから恨みを買う、命を狙われる
→十字架の苦しみに投げ入れられる
=人々は、神様の言葉を代弁したキリストを裁き、殺した

しかし、弟子たちはその必要はない。
→人の恨みを買うような言葉を使うな
→自ら争いを引き起こさず、平和のうちに伝道せよ

“ですから、祭壇の上にささげ物を献げようとしているときに、兄弟が自分を恨んでいることを思い出したなら、ささげ物はそこに、祭壇の前に置き、行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから戻って、そのささげ物を献げなさい。あなたを訴える人とは、一緒に行く途中で早く和解しなさい。そうでないと、訴える人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれることになります。まことに、あなたに言います。最後の一コドラントを支払うまで、そこから決して出ることはできません。
    マタイの福音書 5章21~26節

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