「マタイの福音書」連続講解説教

癒しは命のやり取り

マタイの福音書第8章14節〜17節
岩本遠億牧師
2020年2月2日

“それからイエスはペテロの家に入り、彼の姑が熱を出して寝込んでいるのをご覧になった。イエスは彼女の手に触れられた。すると熱がひき、彼女は起きてイエスをもてなした。夕方になると、人々は悪霊につかれた人を、大勢みもとに連れて来た。イエスはことばをもって悪霊どもを追い出し、病気の人々をみな癒やされた。これは、預言者イザヤを通して語られたことが成就するためであった。「彼は私たちのわずらいを担い、私たちの病を負った。」”マタイの福音書 8章14~17節

ペテロの家の跡と言われる遺跡
ペテロの家の跡と言われる遺跡(上から見たところ)

病気 悪例によるものとそうでないものの見分けが必要。
・ペテロの姑の熱病は悪霊によるものではなかった→イエスが手に触れるだけで癒された。
・悪霊による病→霊の戦い
        癒し主キリストは、悪霊の攻撃を受ける。血を流し続ける

まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。それなのに、私たちは思った。神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。
しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。
私たちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行った。しかし、主は私たちすべての者の咎を彼に負わせた。”
イザヤ書 53章4~6節

“そこに、十二年の間、長血をわずらい、医者たちに財産すべてを費やしたのに、だれにも治してもらえなかった女の人がいた。彼女はイエスのうしろから近づいて、その衣の房に触れた。すると、ただちに出血が止まった。イエスは、「わたしにさわったのは、だれですか」と言われた。みな自分ではないと言ったので、ペテロは、「先生。大勢の人たちが、あなたを囲んで押し合っています」と言った。しかし、イエスは言われた。「だれかがわたしにさわりました。わたし自身、自分から力が出て行くのを感じました。」”
ルカの福音書 8章43~46節

“兄弟たち。私があなたがたのところに行ったとき、私は、すぐれたことばや知恵を用いて神の奥義を宣べ伝えることはしませんでした。なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、しかも十字架につけられた(ままの)キリストのほかには、何も知るまいと決心していたからです。あなたがたのところに行ったときの私は、弱く、恐れおののいていました。そして、私のことばと私の宣教は、説得力のある知恵のことばによるものではなく、御霊と御力の現れによるものでした。それは、あなたがたの信仰が、人間の知恵によらず、神の力によるものとなるためだったのです。
コリント人への手紙 第一 2章1~5節

台風で破れた傘を捨てた   
破れた=過去の出来事

破れた傘をさしている
=破れた状態が現在に続いている(完了)
=破れたままの傘をさしている

ギリシャ語の現在完了分詞
=過去に起こった変化の状態が現在も続いている

十字架に架けられた(estauromenon)キリスト
          ↑
       現在完了分詞

より正確な訳
=十字架に架けられたままのキリスト

今も血を流しつつあるキリストを宣べ伝えた。
           ↓
あなたがたのところに行ったときの私は、弱く、恐れおののいていました。そして、私のことばと私の宣教は、説得力のある知恵のことばによるものではなく、御霊と御力の現れによるものでした。それは、あなたがたの信仰が、人間の知恵によらず、神の力によるものとなるためだったのです。

“もし私たちが、神が光の中におられるように、光の中を歩んでいるなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださいます。 ヨハネの手紙 第一 1章7節

×清めてくださいます→日本語だと未来の意味

ギリシャ語では未完了形(katharizei)
→常に清める、いつも清めている
 
十字架の血による清めの業は現在進行中

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