「マタイの福音書」連続講解説教

神から生まれ神に帰るために

マタイの福音書第1章1節〜17節
岩本遠億牧師
2019年3月3日

マタイの福音書 1章1~17節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図。

アブラハムがイサクを生み、イサクがヤコブを生み、ヤコブがユダとその兄弟たちを生み、ユダがタマルによってペレツとゼラフを生み、ペレツがヘツロンを生み、ヘツロンがアラムを生み、アラムがアミナダブを生み、アミナダブがナフションを生み、ナフションがサルマを生み、サルマがラハブによってボアズを生み、ボアズがルツによってオベデを生み、オベデがエッサイを生み、エッサイがダビデ王を生んだ。

ダビデがウリヤの妻によってソロモンを生み、ソロモンがレハブアムを生み、レハブアムがアビヤを生み、アビヤがアサを生み、アサがヨシャファテを生み、ヨシャファテがヨラムを生み、ヨラムがウジヤを生み、ウジヤがヨタムを生み、ヨタムがアハズを生み、アハズがヒゼキヤを生み、ヒゼキヤがマナセを生み、マナセがアモンを生み、アモンがヨシヤを生み、バビロン捕囚のころ、ヨシヤがエコンヤとその兄弟たちを生んだ。

バビロン捕囚の後、エコンヤがシェアルティエルを生み、シェアルティエルがゼルバベルを生み、ゼルバベルがアビウデを生み、アビウデがエルヤキムを生み、エルヤキムがアゾルを生み、アゾルがツァドクを生み、ツァドクがアキムを生み、アキムがエリウデを生み、エリウデがエレアザルを生み、エレアザルがマタンを生み、マタンがヤコブを生み、ヤコブがマリアの夫ヨセフを生んだ。キリストと呼ばれるイエスは、このマリアからお生まれになった。

それで、アブラハムからダビデまでが全部で十四代、ダビデからバビロン捕囚までが十四代、バビロン捕囚からキリストまでが十四代となる。

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ヨハネの福音書 3章3~8節聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに言います。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」 ニコデモはイエスに言った。「人は、老いていながら、どうやって生まれることができますか。もう一度、母の胎に入って生まれることなどできるでしょうか。」

イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに言います。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできません。肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。 あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。風は思いのままに吹きます。その音を聞いても、それがどこから来てどこへ行くのか分かりません。御霊によって生まれた者もみな、それと同じです。」

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ヨハネの手紙 第一 4章7~12節聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

愛する者たち。私たちは互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛がある者はみな神から生まれ、神を知っています。愛のない者は神を知りません。神は愛だからです。

神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。それによって神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた、互いに愛し合うべきです。いまだかつて神を見た者はいません。私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにとどまり、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。


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