「マタイの福音書」連続講解説教

神の国が見えるか

マタイの福音書第12章22節〜37節
岩本遠億牧師
2020年7月5日

そのとき、悪霊につかれて目が見えず、口もきけない人が連れて来られた。イエスが癒やされたので、その人はものを言い、目も見えるようになった。群衆はみな驚いて言った。「もしかすると、この人がダビデの子なのではないだろうか。」

これを聞いたパリサイ人たちは言った。「この人が悪霊どもを追い出しているのは、ただ悪霊どものかしらベルゼブルによることだ。」

イエスは彼らの思いを知って言われた。「どんな国でも分裂して争えば荒れすたれ、どんな町でも家でも分裂して争えば立ち行きません。もし、サタンがサタンを追い出しているのなら、仲間割れしたことになります。それなら、どのようにしてその国は立ち行くのですか。また、もしわたしが、ベルゼブルによって悪霊どもを追い出しているとしたら、あなたがたの子らが追い出しているのは、だれによってなのですか。そういうわけで、あなたがたの子らが、あなたがたをさばく者となります。

しかし、わたしが神の御霊によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです。まず強い者を縛り上げるのでなければ、強い者の家に入って家財を奪い取ることが、どうしてできるでしょうか。縛り上げれば、その家を略奪できます。わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしとともに集めない者は散らしているのです。ですから、わたしはあなたがたに言います。人はどんな罪も冒瀆も赦していただけますが、御霊に対する冒瀆は赦されません。また、人の子に逆らうことばを口にする者でも赦されます。しかし、聖霊に逆らうことを言う者は、この世でも次に来る世でも赦されません。

木を良いとし、その実も良いとするか、木を悪いとし、その実も悪いとするか、どちらかです。木の良し悪しはその実によって分かります。まむしの子孫たち、おまえたち悪い者に、どうして良いことが言えますか。心に満ちていることを口が話すのです。良い人は良い倉から良い物を取り出し、悪い者は悪い倉から悪い物を取り出します。わたしはあなたがたに言います。人は、口にするあらゆる無益なことばについて、さばきの日に申し開きをしなければなりません。あなたは自分のことばによって義とされ、また、自分のことばによって不義に定められるのです。」”マタイの福音書 12章22~37節

聖書の中で最も難解な箇所の一つ

人はどんな罪も冒瀆も赦していただけますが、御霊に対する冒瀆は赦されません。また、人の子に逆らうことばを口にする者でも赦されます。しかし、聖霊に逆らうことを言う者は、この世でも次に来る世でも赦されません。

聖霊に対する冒涜、聖霊に逆らうことを言うとは何か?
人の子(=キリスト)に逆らうことと何が違うのか?

どんな罪も冒涜も赦されるのに、この世でも次に来る世でも赦されないのは何故か?

何故パリサイ人は、イエスを悪魔呼ばわりしたのか?
鍵となる事実=その日は安息日であった

安息日に癒しをなすのは悪魔以外の何ものでもないとの主張。
当時は、まだ安息日論争に決着は付いていなかった。それにも関わらず、自分の神学的主張を神の国の現実よりも優先した。

キリストを殺した罪
→赦された

イエスを十字架にかけた百人隊長

その時、百人隊長は言った。「この方は、まことに神の子であった。」
→まことの神の子はローマ皇帝ではなかった。この十字架にかけられたキリストだったとの信仰告白

十字架にかけられる時のイエスの祈り
「父よ。彼らをお赦しください。彼らは自分が何をしているのか分かっていないのです。」

聖霊に対する冒涜とは何か?
神の国と聖霊との関係
聖霊が神の国を来らせている。

しかし、わたしが神の御霊によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです。

今目の前にある神の国を否定
=聖霊の否定、冒涜
→この世における神の国から自分を排斥
→来たるべき世における神の国からも自分を排斥

木を良いとし、その実も良いとするか、木を悪いとし、その実も悪いとするか、どちらかです。木の良し悪しはその実によって分かります。
まむしの子孫たち、おまえたち悪い者に、どうして良いことが言えますか。心に満ちていることを口が話すのです。

病人の癒し(=神の国の業)を目撃し、それを悪魔の仕業だと言う
→聖霊よりも自分の神学の正しさを優先
→心の中に聖霊を冒涜する思い(悪魔の思い)が満ちている
→それが口に出る

神の国の事実が第一←聖霊が働いておられる

神学的立場(=人間の理解=頭の中の世界)は、神の国の事実の前に退かなければならない。

詩篇14篇
1 愚か者は心の中で「神はいない」と言う。彼らは腐っていて忌まわしいことを行う。善を行う者はいない。

「神はいない」の反対は?
×「神はいる」
!「神様!」と叫ぶこと。神の国(神の支配)がここに来るように叫び求めること。

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