「ルカの福音書」 連続講解説教

神の言葉はあなたの出来事となる

ルカの福音書第3章1節〜6節
岩本遠億牧師
2021年11月28日

ルカの福音書 第3章1~6節

“皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督であり、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟ピリポがイトラヤとトラコニテ地方の領主、リサニアがアビレネの領主、アンナスとカヤパが大祭司であったころ、神のことばが、荒野でザカリヤの子ヨハネに臨んだ。

ヨハネはヨルダン川周辺のすべての地域に行って、罪の赦しに導く悔い改めのバプテスマを宣べ伝えた。

これは、預言者イザヤのことばの書に書いてあるとおりである。「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意せよ。主の通られる道をまっすぐにせよ。すべての谷は埋められ、すべての山や丘は低くなる。曲がったところはまっすぐになり、険しい道は平らになる。こうして、すべての者が神の救いを見る。』」”

神の権威による統治が行われていない時代

・皇帝ティベリウスの治世の第15年=紀元29年
 (ローマ皇帝ティベリウス:在位紀元14年〜37年)
・ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、
・ヘロデがガリラヤの領主、
・その兄弟ピリポがイトラヤとトラコニテ地方の領主、
・リサニアがアビレネの領主、
・アンナス(前大祭司:ローマによって廃位、権力を維持)とカヤパが大祭司(王がいなかった当時のイスラエルの政治的・宗教的最高権力者)

神のことばが、荒野でザカリヤの子ヨハネに臨んだ。

神による歴史への介入は人がいない荒野で始まった。
主イエスも受け入れる人がいない飼馬桶に生まれた。

ユダの荒野
ユダの荒野
ユダの荒野

神のことばがゼカリヤの子ヨハネに臨んだ。

×ある時、急に神の声が聞こえた。
×御使がヨハネに神のことばを伝えた。

神のことば(レーマ:ことば、出来事)
臨んだ(ギノマイ:現れた、成った、実現した、成就した)

「あなたが信じるようにあなたになるように」                
「まことに、あなたがたに言います。天地が消え去るまで、律法の一点一画も決して消え去ることはありません。すべてが実現します。」マタイの福音書 5章18節
御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。マタイの福音書 6章10節
イエスは彼に言われた。「今日、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。」ルカの福音書 19章9節

預言者イザヤによって語られた神の言葉がヨハネにおいて実現した。

ゼカリヤの子ヨハネにおいて実現した神のことば

預言者イザヤ(紀元前8世紀後半)による預言
イザヤ書40:3〜5

「慰めよ、慰めよ、わたしの民を。──あなたがたの神は仰せられる──エルサレムに優しく語りかけよ。これに呼びかけよ。その苦役は終わり、その咎は償われている、と。そのすべての罪に代えて、二倍のものを主の手から受けている、と。

荒野で叫ぶ者の声がする。「主の道を用意せよ。荒れ地で私たちの神のために、大路をまっすぐにせよ。すべての谷は引き上げられ、すべての山や丘は低くなる。曲がったところはまっすぐになり、険しい地は平らになる。このようにして主の栄光が現されると、すべての肉なる者がともにこれを見る。まことに主の御口が語られる。」

『主の道を用意せよ。主の通られる道をまっすぐにせよ。すべての谷は埋められ、すべての山や丘は低くなる。曲がったところはまっすぐになり、険しい道は平らになる。こうして、すべての者が神の救いを見る。』

全ての山や丘は低くなる
      =高慢が低められること
      =神の前に本当の自分を知ることが救い

全ての谷は埋められる(プレロー:満ち溢れる)  
      =低められている者たち
      →光が当てられ、実存の回復
      =キリストの喜び、神の子の実存が満ち溢れる

曲がりくねり迷路のように出口が見えない時代からの救い
      =キリストこそただ一人真実な方であること、キリストこそ唯一の道であるが明らかになる

洗礼者ヨハネ:祭司ザカリヤ(サドカイ派)の家に生まれる。

ザカリヤはサドカイ派の枠を破り、パリサイ派の会堂で預言書や諸書を学び、預言者エリヤの霊と力でメシアの道備えをする者として息子ヨハネを育てた。

マラキ書4:5-6
「見よ。わたしは、主の大いなる恐るべき日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。彼は、父の心を子に向けさせ、子の心を父に向けさせる。それは、わたしが来て、この地を聖絶のものとして打ち滅ぼすことのないようにするためである。」

ヨハネは、自分が預言者としてメシアの先駆けとなる働きをする者であることを知っている。彼は、それをどのような働きであるか、どのようにそれを行うかを幼い時から求め続けた。

サドカイ派(モーセ 五書のみ。霊魂の不滅を否定)であった祭司集団の中で育つが、その枠を破って預言者の書、諸書を学んだ父ザカリヤの影響の下、パリサイ派(モーセ 五書、預言者の書、諸書、霊魂の不滅、死後の裁き)の会堂でも学ぶ。さらに、パリサイ派から分かれたエッセネ派の影響も受けたとされる。だが、その後エッセネ派とは袂を分かち、神の民を神への立ち帰り、罪の赦しによる救いを説く宣教活動(バプテスマ運動)を始める。

(エッセネ派:死海のほとりで共同生活。日々の禊(みそぎ)による清めの生活。完全共産制、私有財産の放棄、禁欲生活、無言でパンと葡萄酒に与る食事、メシア到来を待ち望む)

ヨハネはヨルダン川周辺のすべての地域に行って、罪の赦しに導く悔い改め(神への立ち帰り)のバプテスマを宣べ伝えた。

ユダヤ教における理解
父祖アブラハムの子孫=神の民
救い=イスラエルを支配する外国からの解放
罪からの救いという概念はなかった。

ユダヤ教におけるバプテスマ(洗礼)
異教徒がユダヤ教に改宗する時に割礼の前に求められた儀式
→ユダヤ人には必要ない

ヨハネは全ての人が罪を認め、神に立ち帰る必要があり、バプテスマを受けることによって、それを自らにも他の人にも、神の前にも明らかにするよう導いた。

ヨルダン川 ヨハネが洗礼を行なっていたと思われるあたり
対岸はヨルダン領

ヨハネの宣教=新しい時代を開く
人の存在と尊厳に関わる根本問題(=罪)についての洞察。
人が救われるためには罪が取り除かれる必要。

罪=神様との関係が失われていること
   人が自分を中心として生きること

罪の赦しに導く悔い改めのバプテスマ
=罪の自覚の必要性を説いた
→メシアこそ罪を取り除く方であることを神の民が知るように導いた。

主イエスは、罪に対する根本的解決を与える(=罪そのものを罰する、取り除く)ために来られる。

“なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の律法が、罪と死の律法からあなたを解放したからです。肉によって弱くなったため、律法にできなくなったことを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪深い肉と同じような形で、罪のきよめのために遣わし、肉において罪を処罰されたのです。
それは、肉に従わず御霊に従って歩む私たちのうちに、律法の要求が満たされるためなのです。”
ローマ人への手紙 8章2~4節

神が処罰されるのは人ではない。イエスの十字架によって、罪そのものを処罰し、人を罪から救われた。

神の言葉は、あなたにも実現する。実現した。

心に残る聖書の言葉。
自分に語られたと感じる聖書の言葉。
その神の言葉は、あなたに実現したのである。
その言葉は、あなたを励まし、用い、あなたを完成へと導く。

もし、まだ聞こえていないと思うなら、共に祈ろう。
「あなたの言葉を、聞かせてください。わたしのためにあなたが実現したという出来事が分かるようにしてください。」

神様は必ず聞かせてくださる。分かるようにしてくださる。 

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