「マタイの福音書」連続講解説教

神は何度もチャンスを与える

マタイの福音書第14章1節〜12節
岩本遠億牧師
2020年9月6日

そのころ、領主ヘロデはイエスのうわさを聞いて、家来たちに言った。「あれはバプテスマのヨハネだ。彼が死人の中からよみがえったのだ。だから、奇跡を行う力が彼のうちに働いているのだ。」実は、以前このヘロデは、自分の兄弟ピリポの妻ヘロディアのことでヨハネを捕らえて縛り、牢に入れていた。ヨハネが彼に、「あなたが彼女を自分のものにすることは律法にかなっていない」と言い続けたからであった。ヘロデはヨハネを殺したいと思ったが、民衆を恐れた。彼らがヨハネを預言者と認めていたからであった。ところが、ヘロデの誕生祝いがあり、ヘロディアの娘が皆の前で踊りを踊ってヘロデを喜ばせた。それで彼は娘に誓い、求める物は何でも与えると約束した。すると、娘は母親にそそのかされて、「今ここで、バプテスマのヨハネの首を盆に載せて私に下さい」と言った。王は心を痛めたが、自分が誓ったことであり、列席の人たちの手前もあって、与えるように命じ、人を遣わして、牢の中でヨハネの首をはねさせた。その首は盆に載せて運ばれ、少女に与えられたので、少女はそれを母親のところに持って行った。それから、ヨハネの弟子たちがやって来て遺体を引き取り、葬った。そして、イエスのところに行って報告した。

ガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスが弟の妻へロディアを略奪し、妻としたことの罪をヨハネが公然と糾弾。

ヨハネが彼に、「あなたが彼女を自分のものにすることは律法にかなっていない」と言い続けたからであった。 →2人称での呼びかけ=立ち帰りへの招き

ヘロデはヨハネを捉えヨルダン川東岸のマケルス要塞に投獄

マルコによると、ヘロデはヨハネから教えを受け、当惑しながら、耳を傾けていた。

神が罪を指摘する目的
○人を生かすため
×人を滅ぼすため

神の大前提=命を創造し、命を与える

ヘロデ王の死後4分割されたユダヤ
マケルス城塞跡
マケルス城塞跡
マケルス城塞復元図

ヘロデは、ガリラヤとペレヤの領主
=国王ではない
しかも、ローマ皇帝による分封
  いつでも解任される危険
  実際、紀元39年には解任、追放
→「望むものは何でも与える」とは言えない立場

誕生日に救いの最後の望みを自ら断ち切ってしまう。
自分が絶対君主であるとの思い違い。
誕生日とは?

何がヘロデを狂わせたのか?

高慢=自己の誤りを受け入れられない弱さ

イエスに会ってみたいと思うヘロデ 
(ルカの福音書)

十字架にかけられるために捕らえられ、ピラトのもとから送られてきたイエスを見、奇跡を行わせようとするが、イエスはそれには応えない。散々侮辱し、嘲弄した挙句、派手な衣を身につけさせ、ピラトのところに送り返す。

イエスは恐れるに足らずとの思い
→紀元39年に失脚、追放

ダビデとヘロデの違い

ダビデ
忠臣ウリヤの妻バテシェバと姦通、その後それが発覚するのを恐れ、ウリヤを殺害
→預言者ナタンによる罪の告発
→罪を認め主に赦しを懇願
→主はダビデを赦される

“主よあなたがもし不義に目を留められるなら主よだれが御前に立てるでしょう。しかしあなたが赦してくださるゆえにあなたは人に恐れられます。”
詩篇 130篇3~4節

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