「マタイの福音書」連続講解説教

神は私たちの手を支える

マタイの福音書第14章22節〜33節
岩本遠億牧師
2020年9月20日

それからすぐに、イエスは弟子たちを舟に乗り込ませて、自分より先に向こう岸に向かわせ、その間に群衆を解散させられた。群衆を解散させてから、イエスは祈るために一人で山に登られた。夕方になっても一人でそこにおられた。舟はすでに陸から何スタディオンも離れていて、向かい風だったので波に悩まされていた。夜明けが近づいたころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに来られた。イエスが湖の上を歩いておられるのを見た弟子たちは「あれは幽霊だ」と言っておびえ、恐ろしさのあまり叫んだ。イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。するとペテロが答えて、「主よ。あなたでしたら、私に命じて、水の上を歩いてあなたのところに行かせてください」と言った。イエスは「来なさい」と言われた。そこでペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスの方に行った。ところが強風を見て怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。イエスはすぐに手を伸ばし、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか。」そして二人が舟に乗り込むと、風はやんだ。舟の中にいた弟子たちは「まことに、あなたは神の子です」と言って、イエスを礼拝した。

この箇所を理解するための前提
海(湖)=滅び(=悪魔)の住む場所
舟で湖を行く=悪魔の住む世界を舟(=教会)で進む
湖の上を歩く=悪魔を踏みつける

群衆を解散される=ヘロデから群衆を守る

弟子たちを対岸(外国)へ向かわせる
ご自身は徹夜して祈る
→ヘロデの圧迫、押し寄せる群衆
→父なる神様の御心を求める
→ご自身の本質(悪魔を踏みつける者)を弟子たちに現す
  (ガリラヤ湖はティベリアの海とも呼ばれる。皇帝ティベリウスに捧げられたティベリアに因む。イエスを十字架刑にしたピラトはティベリウスの臣下。十字架を超える勝利者イエスの本質を現す。)

×信仰の薄い者
○信仰の小さい者

あなたがたに辛子種一粒の信仰があれば、この山に向かって海に移れと言えばそのとおりになる。

信仰の小さい者→「主よ。助けてください」と叫ぶ
主はその叫びに答えられる。

私たちがこの箇所から知るべきこと

?主イエスを見つめていれば、自分も悪魔を踏みつけることができる
  →だから、主イエスから目を離すな

○私たちは周囲の状況を見て、恐れることがある。主イエスから目を逸らしてしまうことがある。
しかし、そんな信仰の小さな私たちのそばに、悪魔を踏みつけておられる主イエスがおられる。
このお方に、叫べば良い。

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