「マタイの福音書」連続講解説教

神様との秘密 その3

マタイの福音書第6章16節〜18節
岩本遠億牧師
2019年11月3日

あなたがたが断食をするときには、偽善者たちのように暗い顔をしてはいけません。彼らは断食していることが人に見えるように、顔をやつれさせるのです。誠に、あなたがたに言います。彼らはすでに自分の報いを受けているのです。断食をするときには頭に油を塗り、顔を洗いなさい。それは、断食していることが、人にではなく、隠れたところにおられるあなたがたの父に見えるようにするためです。そうすれば、隠れたところで見ておられるあなたがたの父が報いてくださいます。マタイの福音書第6章16節〜18節

当時のイスラエル人の義務
=宗教的義務=義(善行)
1.施し
2.祈り
3.断食

主イエスご自身も施しを推奨し、祈り、断食を行われた。

何を問題となさったのか?

当時の社会状況を知ることが必要

第一神殿以前:
幕屋における礼拝と個人個人の祈り

第一神殿時代(紀元前10世紀〜紀元前6世紀)
人々は律法を軽視
預言者の言葉:律法を守らないイスラエルの民に対する警告が中心
各地で異教の神への礼拝が横行
→エルサレム神殿だけでの礼拝を推進

第二神殿時代(バビロン捕囚(紀元前6世紀)以降)
人々は律法を遵守
預言者の言葉:律法を守るとは如何なることかとの議論が中心
→パリサイ派が会堂や家庭での礼拝を推進

新約時代のイスラエルは、律法だけでなく、種々の律法の解釈、言い伝えを守ることが社会的な規範となっていた。

信仰が個人の内的な問題ではなく、社会的な名誉と結びつく。
→神との関係ではなく、人との関係に意識が向く。

聖書における断食
律法の定める断食:
   大贖罪日(ヨム・キプール)
  全イスラエルが断食(レビ記16章)
  ユダヤ新年の十日(2019年10月9日〜10日)
捕囚後に定められた断食(イスラエルの危機を記念)
   •ネブガデネザルによるエルサレム包囲開始日(12月ごろ)
  •エルサレム陥落日(5月ごろ)
  •第一神殿の破壊日(7月ごろ)
  ゲダルヤ(バビロン捕囚時にユダヤに残された貧しい人々の上に立てられた総督)殺害日(9月ごろ)

新約時代に追加された断食日
  •木曜日(モーセが律法を受けるためにシナイ山に登った日)
  •月曜日(律法を受けて下山した日)

断食の方法
大贖罪日:丸一日(日没〜日没)水も食物も口にしない
その他:日の出から日没まで

粗布を着て、灰をかぶる:悲しみと懺悔を表す
→敬虔さの装い
→高慢な形式的主義的苦行
=自分を低める断食が自分を高めるものへ

ルカの福音書 18章10~14節
「二人の人が祈るために宮に上って行った。一人はパリサイ人で、もう一人は取税人であった。
 パリサイ人は立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私がほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦淫する者でないこと、あるいは、この取税人のようでないことを感謝します。私は週に二度断食し、自分が得ているすべてのものから、十分の一を献げております。』
 一方、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神様、罪人の私をあわれんでください。』
 あなたがたに言いますが、義と認められて家に帰ったのは、あのパリサイ人ではなく、この人です。だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるのです。」

マタイの福音書 9章14~15節
 それから、ヨハネの弟子たちがイエスのところに来て、「私たちとパリサイ人はたびたび断食をしているのに、なぜあなたの弟子たちは断食をしないのですか」と言った。
 イエスは彼らに言われた。「花婿に付き添う友人たちは、花婿が一緒にいる間、悲しむことができるでしょうか。しかし、彼らから花婿が取り去られる日が来ます。そのときには断食をします。

現代のキリスト教会に当てはめると
教会の中での働きや熱心さによって人を評価
→信仰熱心な人、信仰が強い人、弱い人

隠れた神様との関係だけに真がある
  神様との関係の窓
    •自分の罪深さを知ること
    •人生の苦しみ(病気、怪我、社会的立場の喪失、壊れた人間関係など)

私たちがキリストの死と同じようになって、キリストと一つになっているなら、キリストの復活とも同じようになるからです。
ローマ人への手紙 6章5節


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