「ヘブル人への手紙」 連続講解説教

私たちの真の願いを知る方と一つに

ヘブル人への手紙第5章11節〜第6章12説
岩本遠億牧師
2018年6月24日

第5章
5:11この方について、私たちは話すべきことをたくさん持っていますが、あなたがたの耳が鈍くなっているため、説き明かすことが困難です。 5:12あなたがたは年数からすれば教師になっていなければならないにもかかわらず、神のことばの初歩をもう一度だれかに教えてもらう必要があるのです。あなたがたは堅い食物ではなく、乳を必要とするようになっています。 5:13まだ乳ばかり飲んでいるような者はみな、義の教えに通じてはいません。幼子なのです。 5:14しかし、堅い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です。
第6章
6:1ですから、私たちは、キリストについての初歩の教えをあとにして、成熟を目ざして進もうではありませんか。死んだ行ないからの回心、神に対する信仰、 6:2きよめの洗いについての教え、手を置く儀式、死者の復活、とこしえのさばきなど基礎的なことを再びやり直したりしないようにしましょう。 6:3神がお許しになるならば、私たちはそうすべきです。 6:4一度光を受けて天からの賜物の味を知り、聖霊にあずかる者となり、 6:5神のすばらしいみことばと、後にやがて来る世の力とを味わったうえで、 6:6しかも堕落してしまうならば、そういう人々をもう一度悔い改めに立ち返らせることはできません。彼らは、自分で神の子をもう一度十字架にかけて、恥辱を与える人たちだからです。 6:7土地は、その上にしばしば降る雨を吸い込んで、これを耕す人たちのために有用な作物を生じるなら、神の祝福にあずかります。 6:8しかし、いばらやあざみなどを生えさせるなら、無用なものであって、やがてのろいを受け、ついには焼かれてしまいます。
6:9だが、愛する人たち。私たちはこのように言いますが、あなたがたについては、もっと良いことを確信しています。それは救いにつながることです。 6:10神は正しい方であって、あなたがたの行ないを忘れず、あなたがたがこれまで聖徒たちに仕え、また今も仕えて神の御名のために示したあの愛をお忘れにならないのです。 6:11そこで、私たちは、あなたがたひとりひとりが、同じ熱心さを示して、最後まで、私たちの希望について十分な確信を持ち続けてくれるように切望します。 6:12それは、あなたがたがなまけずに、信仰と忍耐によって約束のものを相続するあの人たちに、ならう者となるためです。

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信仰は成長する:霊的真理

怠惰な成長しない信仰=堕落
→もう一度悔い改めに導くことはできない

断罪ではなく、忠告であり、励まし

あなたがた耳が鈍くなっている
幼子、乳が必要、解き明かすことが困難
→7章からメリギゼデクについて、8章から大祭司キリストについての解き明かし

マルコの福音書
4:14種蒔く人は、みことばを蒔くのです。 4:15みことばが道ばたに蒔かれるとは、こういう人たちのことです――みことばを聞くと、すぐサタンが来て、彼らに蒔かれたみことばを持ち去ってしまうのです。 4:16同じように、岩地に蒔かれるとは、こういう人たちのことです――みことばを聞くと、すぐに喜んで受けるが、 4:17根を張らないで、ただしばらく続くだけです。それで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。4:18もう一つの、いばらの中に種を蒔かれるとは、こういう人たちのことです――みことばを聞いてはいるが、 4:19世の心づかいや、富の惑わし、その他いろいろな欲望がはいり込んで、みことばをふさぐので、実を結びません。 4:20良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いて受け入れ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ人たちです。」

「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。」ヨハネの福音書15:1
石を取り除き、いばらを抜くのは誰か?

エペソ人への手紙
4:11こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。 4:12それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、 4:13ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。

キリストの招きの言葉の2段階
1.全ての人に対して
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」マタイの福音書11:28
2.弟子たちに対して
「わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。」
ヨハネの福音書15:4

キリスト信仰における成長
=精神的、霊的自立を与えられること
=キリストに完全に依存すること
=キリストとの完全な合一
そのためには、キリストとは誰か、についての深い知識を要する。

わたしははまことの葡萄の木、あなたがたは枝です。…わたしに留まりなさい。わたしもあなた方の中に留まります。

なぜ私たちはキリストとの合一を求めるのか?
キリストとの合一を求める者の資格?

罪の力に負ける者と自覚するから
→罪の力に支配されない者になりたい

心と体が汚れていると自覚するから
→清い心と体になりたい

=神様の御心にかなうものになりたい
=私たちの真の願い

なぜ、キリストは私たちとの合一を求めるのか?
キリストは、私たちの真の願いを知っておられるから。

私たち一人ひとりを小さなキリストとするため。
私たち一人ひとりにご自身の栄光を与えるため。
この世に神の国を満たすため。

イエス・キリストを信じることによって与えられる神の義は、天国行きの切符ではない。
この地に神の国を満たして行く者としての資格と権能を与えるもの。

ルカの福音書
18:10「ふたりの人が、祈るために宮に上った。ひとりはパリサイ人で、もうひとりは取税人であった。
18:11パリサイ人は、立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。 18:12私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その十分の一をささげております。』 」
18:13ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』
18:14あなたがたに言うが、この人のほうが、前の人よりも、義と認められ、家に帰って行きました。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」

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