「ヨハネの福音書」 連続講解説教

私たちも神の業を目撃する

ヨハネの福音書第9章
岩本遠億牧師
2019年1月27日

“さて、イエスは通りすがりに、生まれたときから目の見えない人をご覧になった。
弟子たちはイエスに尋ねた。「先生。この人が盲目で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。両親ですか。」
イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。この人に神のわざが現れるためです。
わたしたちは、わたしを遣わされた方のわざを、昼のうちに行わなければなりません。だれも働くことができない夜が来ます。
わたしが世にいる間は、わたしが世の光です。」
イエスはこう言ってから、地面に唾をして、その唾で泥を作られた。そして、その泥を彼の目に塗って、
「行って、シロアム(訳すと、遣わされた者)の池で洗いなさい」と言われた。そこで、彼は行って洗った。すると、見えるようになり、帰って行った。
近所の人たちや、彼が物乞いであったのを前に見ていた人たちが言った。「これは座って物乞いをしていた人ではないか。」
ある者たちは、「そうだ」と言い、ほかの者たちは「違う。似ているだけだ」と言った。当人は、「私がその人です」と言った。
そこで、彼らは言った。「では、おまえの目はどのようにして開いたのか。」
彼は答えた。「イエスという方が泥を作って、私の目に塗り、『シロアムの池に行って洗いなさい』と言われました。それで、行って洗うと、見えるようになりました。」
彼らが「その人はどこにいるのか」と言うと、彼は「知りません」と答えた。”
ヨハネの福音書 9章1~12節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

“イエスは答えられた。「神が遣わした者をあなたがたが信じること、それが神のわざです。」”
ヨハネの福音書 6章29節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

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