「マタイの福音書」連続講解説教

隠された宝物を見つけると

マタイの福音書第13章44節〜52節
岩本遠億牧師
2020年8月9日

「天の御国は畑に隠された宝のようなものです。その宝を見つけた人は、それをそのまま隠しておきます。そして喜びのあまり、行って、持っている物すべてを売り払い、その畑を買います。天の御国はまた、良い真珠を探している商人のようなものです。高価な真珠を一つ見つけた商人は、行って、持っていた物すべてを売り払い、それを買います。また、天の御国は、海に投げ入れてあらゆる種類の魚を集める網のようなものです。網がいっぱいになると、人々はそれを岸に引き上げ、座って、良いものは入れ物に入れ、悪いものは外に投げ捨てます。この世の終わりにもそのようになります。御使いたちが来て、正しい者たちの中から悪い者どもをより分け、火の燃える炉に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。あなたがたは、これらのことがみな分かりましたか。」彼らは「はい」と言った。そこでイエスは言われた。「こういうわけで、天の御国の弟子となった学者はみな、自分の倉から新しい物と古い物を取り出す、一家の主人のようです。」マタイの福音書 13章44~52節

このテキストに何通りの解釈が可能か?

埋蔵金、高価な真珠とは何か?
埋蔵金を見つけた人とは誰か?
高価な真珠を見つけた人とは誰か?
持ち物を全て売り払うとは何を意味しているのか?

背景
銀行などない時代、金(コイン)がたまると、壺に入れ、自分の土地の中に隠す
→土地の所有者が変わる
→小作人が畑を耕しているときに、埋蔵金を発見
→土地を買うと、自分のものに

一般的な解釈
           
埋蔵金、高価な真珠=キリスト
見つけた人=クリスチャン

キリストと出会った時、その喜びのゆえに、全てを捨ててついて行く

注意すべき点
1.自分で見つけること=宝かどうかは自分が判断
2.喜びが基礎にあること

二つ目の解釈
           
埋蔵金、高価な真珠=神によって与えられる栄光
見つけた人=イエス・キリストと彼に従う者

ヘブル人への手紙 12章2節
“信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。この方は、ご自分の前に置かれた喜びのために、辱めをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されたのです。”

三つ目の解釈
           
埋蔵金、高価な真珠=私たち一人一人
見つけた人=イエス・キリスト

キリストが私たち一人一人を高価な宝としてくださっている。私たちを見つけ、ご自分の全てを捨てて買い取ってくださった。

三つの解釈が重なる部分=キリストとの双方向の関係
キリストの宝は私たち、私たちの宝はキリスト、そして、キリストとキリストに従うものに与えられる栄光

全ての魚を捕らえる網
最後の時の審判は必ずある・・・神の民の希望

重要
自分で判断しない
神も最後の時まで待ってくださっている

あなたがたは、これらのことがみな分かりましたか。」彼らは「はい」と言った。
そこでイエスは言われた。「こういうわけで、天の御国の弟子となった学者はみな、自分の倉から新しい物と古い物を取り出す、一家の主人のようです。」”

天国学のマイスター=免許皆伝

真の教師、真の学者
→十把一絡げではない
→個々の人、個々のケースに応じた知識の使い分け

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