マルコの福音書第14賞10節〜26節
岩本遠億牧師
2017年11月26日
14:10 ところで、イスカリオテ・ユダは、十二弟子のひとりであるが、イエスを売ろうとして祭司長たちのところへ出向いて行った。
14:11 彼らはこれを聞いて喜んで、金をやろうと約束した。そこでユダは、どうしたら、うまいぐあいにイエスを引き渡せるかと、ねらっていた。
14:12 種なしパンの祝いの第一日、すなわち、過越の小羊をほふる日に、弟子たちはイエスに言った。「過越の食事をなさるのに、私たちは、どこへ行って用意をしましょうか。」
14:13 そこで、イエスは、弟子のうちふたりを送って、こう言われた。「都にはいりなさい。そうすれば、水がめを運んでいる男に会うから、その人について行きなさい。
14:14 そして、その人がはいって行く家の主人に、『弟子たちといっしょに過越の食事をする、わたしの客間はどこか、と先生が言っておられる。』と言いなさい。
14:15 するとその主人が自分で、席が整って用意のできた二階の広間を見せてくれます。そこでわたしたちのために用意をしなさい。」
14:16 弟子たちが出かけて行って、都にはいると、まさしくイエスの言われたとおりであった。それで、彼らはそこで過越の食事の用意をした。
14:17 夕方になって、イエスは十二弟子といっしょにそこに来られた。
14:18 そして、みなが席に着いて、食事をしているとき、イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちのひとりで、わたしといっしょに食事をしている者が、わたしを裏切ります。」
14:19 弟子たちは悲しくなって、「まさか私ではないでしょう。」とかわるがわるイエスに言いだした。
14:20 イエスは言われた。「この十二人の中のひとりで、わたしといっしょに、同じ鉢にパンを浸している者です。
14:21 確かに、人の子は、自分について書いてあるとおりに、去って行きます。しかし、人の子を裏切るような人間はのろわれます。そういう人は生まれなかったほうがよかったのです。」
14:22 それから、みなが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、彼らに与えて言われた。「取りなさい。これはわたしのからだです。」
14:23 また、杯を取り、感謝をささげて後、彼らに与えられた。彼らはみなその杯から飲んだ。
14:24 イエスは彼らに言われた。「これはわたしの契約の血です。多くの人のために流されるものです。」
14:25 まことに、あなたがたに告げます。神の国で新しく飲むその日までは、わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。」
14:26 そして、賛美の歌を歌ってから、みなでオリーブ山へ出かけて行った。
+
ベタニヤでの主イエスの油注ぎ→イエスを引き渡そうとのユダの決心
×単にイエスのもとを去る
×分からなくなって否定してしまう
×恐れに襲われて否定してしまう
×苦しみのゆえについて行けなくなる
イエスに対する強い嫌悪感
イエスが殺されることになることを予測
イエスの仲間であることの危機感
積極的にイエス殺害に加担する
+
過越の祭:アビブの月(=ユダヤの1月)の10日に準備開始。同14日に子羊を屠り、家族で食べる・・・復活祭の前の木曜日
出エジブトの出来事を記念する非常に楽しい祭
エジブトで奴隷とされていたイスラエルがモーセに率いられて脱出
その時、エジプト全土の初子が主によって打たれたが、子羊の血を鴨居に塗った家だけはその呪いを免れた。
↓
家ごとに子羊を屠り、苦菜と子羊、種入れぬパンを食する。
キリスト時代のイスラエルでは、子羊の屠殺と食事はエルサレムだけで行われる規定
世界中からユダヤ人がエルサレムに集まる
宿屋は宿泊費を取ってはならない
10人〜20人で1頭の焼いた子羊を食べる
イエスは、過越の食事の準備のために弟子二人をエルサレムに遣わす
+
場所の確保:主イエス自身が従う者に指示
恐らくヨハネ・マルコと母マリアの家
→後にペンテコステの家、祈りの家
水瓶を持った男・・・水を汲むのは女性の仕事
=目立つ
場所を確認した上で、神殿から屠られた子羊を手に入れ、この家で調理する
+
イエス時代の過越の食事は伝統に則って行われた
・子羊を焼く
・種入れぬパンをハソレトという赤いソースに浸す
・祝福を唱える。詩篇114篇を歌う
・最初の盃を回し飲み
・塩辛い水(先祖の涙を想起)を数滴飲む
・「苦菜」と共に子羊を食べる
・(わさび、月桂樹、タイム、オレガノ、めぼうきら(?))
・二杯目の盃を回し飲み
・三杯目の盃(「祝福の盃」)が厳かに廻される
・ハレル(賛美「詩篇115〜118」)を歌う
・四杯目(最後)の盃が廻される
+
出エジプトの解放の喜びを祝う祭
主イエスの晩餐もこの方法に従って行われた
特筆すべき二つの出来事:強烈な印象を弟子たちに残す
・裏切り者の存在の告知
・聖餐の制定:罪の赦しと命の共有
→主イエスの命と一つとなり、主イエスの血による罪の贖いを受ける
主イエスの肉と血は、裏切り、恐れ、痛みを突破してイエスに連なる全ての者を罪から解放し、生かす。
十字架の血といのちの実体=聖霊によって啓示
→儀式(礼典)に意味と力
→初代教会時代から現在に至るまで主イエスの十字架と復活を呼び起こす
疑い、恐れ、絶望があったからこそ、主の晩餐が必要であった。イエスのいのちと血は、これらの人々、私たちのために流された。今も流されている。
「御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」ヨハネの手紙第一第1章7節
+
「主イエスの愛の手が」 作詞・作曲 岩本遠億
主イエスの愛の手が この地をつつむ
一羽の雀さえ 主は守られる
傷ついた葦を 折ることなく
ほの暗いほのお 消すことなく
主は地に作られる 神の国を
この地に満たされる 神の国を