聖書を通して神(創造主)が語りかける励ましと慰め、そして戒め。季節の移り変わりや日常の出来事に寄せ、また自己の中にある分裂をも見据えながら、やさしい日本語で書き綴るたましいのことば。聖書メールマガジンの中で18年間にわたり国内で屈指の読者数を獲得してきた著者が数千のメッセージを改訂し366日分を厳選。言語学者ならではの書き下ろしのコラムも配置しました。
私たちは自分の生涯を自分の思い通りに生きたいと思います。しかし、自分のものだと思う自分の生涯が、案外自分の思い通りにはならないのです。生まれる日を決めることができず、両親を選ぶことも、性別や名前を自分で選ぶこともできませんでした。自分の性格や生まれ持った能力を選ぶこともできません。そして、死ぬ日を選ぶことも普通はできないのです。
家具や車なら、自分の好きな物を選び、好きなように変えられるのに、自分自身は選ぶことも変えることもできない。自分が自分の所有物ではないからです。聖書の中に「主のために生き、主のために死ぬ」という言葉がありますが、これは宣教のために生涯を捧げたり、殉教するということを意味するのではありません。何をしていても、何もできなくても、死ぬ時でさえ、自分は主のものだということを知ることを意味するのです。イエス様のものはイエス様がお守りになります。
私たちの中でだれひとりとして、自分のために生きている者はなく、また自分のために死ぬ者もありません。もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。(ローマ人への手紙14:7 〜8)
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