「ヘブル人への手紙」 連続講解説教

この愛には抵抗できない

ヘブル人への手紙第8章7節〜13節
岩本遠億牧師
2018年7月22日

8:7もしあの初めの契約が欠けのないものであったなら、後のものが必要になる余地はなかったでしょう。 8:8しかし、神は、それに欠けがあるとして、こう言われたのです。
「主が、言われる。
見よ。日が来る。
わたしが、イスラエルの家やユダの家と
新しい契約を結ぶ日が。
8:9それは、わたしが彼らの先祖たちの手を引いて、
彼らをエジプトの地から導き出した日に
彼らと結んだ契約のようなものではない。
彼らがわたしの契約を守り通さないので、
わたしも、彼らを顧みなかったと、
主は言われる。
8:10それらの日の後、わたしが、
イスラエルの家と結ぶ契約は、これであると、
主が言われる。
わたしは、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、
彼らの心に書きつける。
わたしは彼らの神となり、
彼らはわたしの民となる。
8:11また彼らが、おのおのその町の者に、
また、おのおのその兄弟に教えて、
『主を知れ。』と言うことは決してない。
小さい者から大きい者に至るまで、
彼らはみな、わたしを知るようになるからである。
8:12なぜなら、わたしは彼らの不義にあわれみをかけ、
もはや、彼らの罪を思い出さないからである。」
8:13神が新しい契約と言われたときには、初めのものを古いとされたのです。年を経て古びたものは、すぐに消えて行きます。

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古い契約と新しい契約

古い契約=律法による
十戒を中心とした戒めの要点
1.イスラエルよ。聞け。主は私たちの神。主は唯一である。あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
2.あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。

戒めを守れない場合の贖罪規定
→罪のための生贄

大祭司が至聖所に安置してある契約の箱の蓋に雄牛の血とヤギの血を7回ずつふりかける。
→血によって罪の贖い(覆うこと)がなされる。

罪の贖いが行われない
→9節 彼らがわたしの契約を守り通さないので、わたしも、彼らを顧みなかった。

罪の贖いがなされなかった歴史。
契約の箱をお守り代わりに使って、ペリシテ人に奪い取られる(サムエル記第一、第二)

ソロモン以降、神殿礼拝が偶像崇拝に取って代わられる時期を繰り返す。

古い契約=動物の血による罪の贖いが基盤
完全な贖いは、動物の血による贖罪規定によっては行い得ない。
そこに人間の行為の介在があるから。

新しい契約=神からの一方的な恵みの行為を人間の行為の介在なしに行う。

一般的な契約
人間同士の双方向の義務履行を要求
義務が履行されない→契約破棄→敵対関係

神が人間に与える契約=一方的
神がノアに与えた契約=命を与えるとの約束

「あなたは、あなたの息子たち、あなたの妻、それにあなたの息子たちの妻といっしょに箱舟に入りなさい。また、すべての生き物、すべての肉なるものの中から、それぞれ二匹ずつ箱舟につれて入り、あなたと一緒に生き残るようにしなさい。」
「わたしは、あなたがたと契約を立てる。すべて肉なるものは、もはや大洪水の水では断ち切られない。もや大洪水が地を滅ぼすようなことはない。」

神がアブラハムに与えた契約
その日、主はアブラムと契約を結んで仰せられた。「わたしは、あなたの子孫に、この地を与える。」創世記15:18

「わたしは、この、わたしの契約をあなたと結ぶ。あなたは多くの国民の父となる。」創世記17:4
→契約の印としての割礼

マルコの福音書
14:22それから、みなが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、彼らに与えて言われた。「取りなさい。これはわたしのからだです。」 14:23また、杯を取り、感謝をささげて後、彼らに与えられた。彼らはみなその杯から飲んだ。 14:24イエスは彼らに言われた。「これはわたしの契約の血です。多くの人のために流されるものです。 14:25まことに、あなたがたに告げます。神の国で新しく飲むその日までは、わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。」

双方向的な契約の限界
=人間の罪深さは変わらない

一方的な契約
→大祭司キリストの血が一方的に人の罪を贖う
→大祭司キリストの血が一方的に人の罪深ささえ清める

一方的なキリストの愛、一方的な慈しみに、私たちの罪がついに負ける。

ローマ人への手紙
8:31では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。 8:32私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。 8:33神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。 8:34罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。 8:35私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。
8:36「あなたのために、私たちは一日中、
死に定められている。
私たちは、ほふられる羊とみなされた。」
と書いてあるとおりです。 8:37しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。 8:38私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、 8:39高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。

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