ルカの福音書 第1章1~4節
“私たちの間で成し遂げられた事柄については、初めからの目撃者で、みことばに仕える者となった人たちが私たちに伝えたとおりのことを、多くの人がまとめて書き上げようとすでに試みています。私も、すべてのことを初めから綿密に調べていますから、尊敬するテオフィロ様、あなたのために、順序立てて書いて差し上げるのがよいと思います。それによって、すでにお受けになった教えが確かであることを、あなたによく分かっていただきたいと思います。”
ルカの福音書
最も当時のユダヤの状況と合致している
→ルカの福音書の記述が当時のユダヤ社会を示唆
=歴史資料として最も信頼できる福音書である
=歴史的イエスを最もありありと表している
←ユダヤ人新約学者の見解(フルッサル、サフライ、ショーレム)
著者=ルカ
著者が明確:使徒行伝の著者と同じ
パウロ の伝道旅行に同行 「使徒の働き」で「私たち」と記した
ルカ=第一世代ではない 第3世代
ダマスカス生まれと言われる。
パウロ の伝道によって霊的にイエスに出会う。
目的:
貴人テオフィロに献呈(テオフィロ閣下)
それによって、すでにお受けになった教えが確かであることを、あなたによく分かっていただきたいと思います。”
あなたが教えを受けてきたことについて、あなたがこの絶対的に確実なものを知るためです。
asphaleia:決して倒れないもの→セキュリティ、保証、安全
新約聖書言語学者Ceslas Spicq 『新約聖書神学辞典』
「単に知的な確信ではなく、安全、堅固、安定を意味している。」
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頭の中の考え 人の頭の外にある実体
自分の指導者を信じる
=自分(主語)の指導者が為す出来事(まだ未確認)が自分(主語)にとって善であり、その上に自分に関わる出来事が存在していると考える
→自分の指導者に従う、その指導者と一緒にいると安心や希望を感じる。
「幽霊の存在」も「大地震が起こること」も頭の中で考えたこと
→「幽霊の存在」も「大地震が起こること」も自分にとって善とは限らない(=これらの場合は悪い)
「指導者」=自分の頭の外に存在する実体
→指導者が自分にとっての善を行ってくれるという意味
「信じる」という出来事
頭の中で考えたこと、理解したこと、命題を信じる
→良きことへの期待なし
存在する実体を信じる
→その実体が行う良きことへの期待、希望
=個人的な信頼
聖書の信仰
○実在する神、イエス・キリストとの出会い、人格的繋がりがキリスト信仰の核である
×イエス・キリストについての命題、説明を信じる
ヘブル人への手紙 11章1節
さて、信仰は、望んでいることの実体であり、目に見えないものの確信である。
神の真実という実体に出会う
望んでいること
=神が行われるまだ確認していない良きこと
→その上に自分に関わる出来事が存在することを確信する
“神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。”
ローマ人への手紙 8章28節
ルカの福音書 第1章1~4節
“私たちの間で成し遂げられた事柄については、初めからの目撃者で、みことばに仕える者となった人たちが私たちに伝えたとおりのことを、多くの人がまとめて書き上げようとすでに試みています。私も、すべてのことを初めから綿密に調べていますから、尊敬するテオフィロ様(テオフィロ閣下)、あなたのために、順序立てて書いて差し上げるのがよいと思います。それによって、すでにお受けになった教えが確かであることを、あなたによく分かっていただきたいと思います。”
あなたが教えを受けてきたことについて、あなたがこの絶対的に確実なものを知るためです。
使徒の働き 第1章1~2節
“テオフィロ(様←呼び捨て)。私は前の書で、イエスが行い始め、また教え始められたすべてのことについて書き記しました。それは、お選びになった使徒たちに聖霊によって命じた後、天に上げられた日までのことでした。”
ルカの福音書を読んだテオフィロが、この絶対的に確実な方に出会い、キリスト信仰の確信を得た
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キリストにある兄弟となった
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社会的に貴人ではあるが呼び捨ての関係
ルカの福音書を読むことにより、この絶対的に確実な方に出会うことができる。