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ヘブル人への手紙第7章

岩本遠億牧師

2018年7月8日

7:1このメルキゼデクは、サレムの王で、すぐれて高い神の祭司でしたが、アブラハムが王たちを打ち破って帰るのを出迎えて祝福しました。 7:2またアブラハムは彼に、すべての戦利品の十分の一を分けました。まず彼は、その名を訳すと義の王であり、次に、サレムの王、すなわち平和の王です。 7:3父もなく、母もなく、系図もなく、その生涯の初めもなく、いのちの終わりもなく、神の子に似た者とされ、いつまでも祭司としてとどまっているのです。

7:4その人がどんなに偉大であるかを、よく考えてごらんなさい。族長であるアブラハムでさえ、彼に一番良い戦利品の十分の一を与えたのです。 7:5レビの子らの中で祭司職を受ける者たちは、自分もアブラハムの子孫でありながら、民から、すなわち彼らの兄弟たちから、十分の一を徴集するようにと、律法の中で命じられています。 7:6ところが、レビ族の系図にない者が、アブラハムから十分の一を取って、約束を受けた人を祝福したのです。 7:7いうまでもなく、下位の者が上位の者から祝福されるのです。 7:8一方では、死ぬべき人間が十分の一を受けていますが、他のばあいは、彼は生きているとあかしされている者が受けるのです。 7:9また、いうならば、十分の一を受け取るレビでさえアブラハムを通して十分の一を納めているのです。 7:10というのは、メルキゼデクがアブラハムを出迎えたときには、レビはまだ父の腰の中にいたからです。

7:11さて、もしレビ系の祭司職によって完全に到達できたのだったら、――民はそれを基礎として律法を与えられたのです。――それ以上何の必要があって、アロンの位でなく、メルキゼデクの位に等しいと呼ばれる他の祭司が立てられたのでしょうか。 7:12祭司職が変われば、律法も必ず変わらなければなりませんが、 7:13私たちが今まで論じて来たその方は、祭壇に仕える者を出したことのない別の部族に属しておられるのです。 7:14私たちの主が、ユダ族から出られたことは明らかですが、モーセは、この部族については、祭司に関することを何も述べていません。

7:15もしメルキゼデクに等しい、別の祭司が立てられるのなら、以上のことは、いよいよ明らかになります。 7:16その祭司は、肉についての戒めである律法にはよらないで、朽ちることのない、いのちの力によって祭司となったのです。 7:17この方については、こうあかしされています。
「あなたは、とこしえに、メルキゼデクの例にならい祭司である。」

7:18一方で、前の戒めは、弱く無益なために、廃止されましたが、 7:19――律法は何事も全うしなかったのです。――他方で、さらにすぐれた希望が導き入れられました。私たちはこれによって神に近づくのです。 7:20また、そのためには、はっきりと誓いがなされています。 7:21――彼らのばあいは、誓いなしに祭司となるのですが、主のばあいには、主に対して次のように言われた方の誓いがあります。「主は誓ってこう言われ、みこころを変えられることはない。『あなたはとこしえに祭司である。』」――

7:22そのようにして、イエスは、さらにすぐれた契約の保証となられたのです。 7:23また、彼らのばあいは、死ということがあるため、務めにいつまでもとどまることができず、大ぜいの者が祭司となりました。 7:24しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。 7:25したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。

7:26また、このようにきよく、悪も汚れもなく、罪人から離れ、また、天よりも高くされた大祭司こそ、私たちにとってまさに必要な方です。 7:27ほかの大祭司たちとは違い、キリストには、まず自分の罪のために、その次に、民の罪のために毎日いけにえをささげる必要はありません。というのは、キリストは自分自身をささげ、ただ一度でこのことを成し遂げられたからです。 7:28律法は弱さを持つ人間を大祭司に立てますが、律法のあとから来た誓いのみことばは、永遠に全うされた御子を立てるのです。

詩篇110篇4節
主は誓われた。思い直されることはない。
「あなたは、メルキゼデクの例に倣い、とこしえに祭司である。」
この、「メルキゼデクの例に倣いとこしえに祭司である方」=イエスである。

・メルキゼデクはアブラハムより偉大である。
甥のロトを連れ去ったメソポタミア連合軍を打ち破ったアブラハムを祝福。
アブラハムはすべてのものの10分の1を彼に献げた。

祭司の家系となるレビ族は、アブラハムから生まれたものである。従って、メルキゼデクはレビ族の祭司よりもはるかに偉大である。

・メルキゼデクは、律法とは別の基準によって祭司であった。
 「義の王」「平和の王」
父もなく、母もなく、系図もなく、生涯の初めもなく、いのちの終わりもなく、神の子に似た者とされて、いつまでも祭司としてとどまっている。

律法による祭司職は完全さに到達することができない。(11)

私たちには、完全さに到達する別の祭司が必要。
イエスはユダ族の出身 ×レビ族 (14) 律法による祭司ではない。
律法によらず、朽ちることのない、いのちの力によって祭司となった。(16)
神の誓いによって祭司となった。(20,21)

レビの子ら・・・大勢の者が祭司となった。死ななければならないから。(23)
イエス・・・永遠に存在。変わることがない祭司職を持つ。(24)
イエスは、いつも生きていて、彼らのためにとりなしておられるので、ご自分によって神に近づく人々を完全に(永遠に)救うことができる。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。(24, 25)

イエスは、ほかの大祭司たちのように、まず自分の罪のために(雄牛を一頭)、次に民の罪のために(朝夕小羊を一頭ずつ)、毎日いけにえを捧げる必要はありません。(27)
毎日の生贄=罪の数だけ生贄が必要
罪によって、前の生贄の効力が失われる

イエスは、自分自身を献げ、ただ一度でそのことを成し遂げられたからです。(27)
イエスの十字架=全人類のすべての罪を覆う。
私たちの罪によって効力が失われることはない。

一方で、前の戒めは、弱く無益なために廃止され、ーー律法は何も全うしなかったのですーーもう一方では、もっとすぐれた希望が導き入れられました。これによって私たちは神に近づくのです。(19)
私たちの清い生活、証の生活がキリストの十字架を効力あらしめるのではない。
私たちの罪は、キリストの十字架の血の力をキャンセルしない。
神の誓いが、キリストの十字架の血を永遠に力あるものとする。
キリストが永遠に生きているから、キリストの十字架の血は永遠に力がある。


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