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私たちには偉大な牧者がいる

ヘブル人への手紙第13章20節〜25節

岩本遠億牧師

2019年1月20日

“永遠の契約の血による羊の大牧者、私たちの主イエスを、死者の中から導き出された平和の神が、
あらゆる良いものをもって、あなたがたを整え、みこころを行わせてくださいますように。また、御前でみこころにかなうことを、イエス・キリストを通して、私たちのうちに行ってくださいますように。栄光が世々限りなくイエス・キリストにありますように。アーメン。
兄弟たちよ、あなたがたにお願いします。このような勧めのことばを耐え忍んでください。私は手短に書いたのです。
私たちの兄弟テモテが釈放されたことを、お知らせします。もし彼が早く来れば、私は彼と一緒にあなたがたに会えるでしょう。
あなたがたのすべての指導者たち、また、すべての聖徒たちによろしく。イタリアから来た人たちが、あなたがたによろしくと言っています。
恵みがあなたがたすべてとともにありますように。”
ヘブル人への手紙 13章20~25節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

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“「まことに、まことに、あなたがたに言います。羊たちの囲いに、門から入らず、ほかのところを乗り越えて来る者は、盗人であり強盗です。
しかし、門から入るのは羊たちの牧者です。
門番は牧者のために門を開き、羊たちはその声を聞き分けます。牧者は自分の羊たちを、それぞれ名を呼んで連れ出します。
羊たちをみな外に出すと、牧者はその先頭に立って行き、羊たちはついて行きます。彼の声を知っているからです。
しかし、ほかの人には決してついて行かず、逃げて行きます。ほかの人たちの声は知らないからです。」
イエスはこの比喩を彼らに話されたが、彼らは、イエスが話されたことが何のことなのか、分からなかった。
そこで、再びイエスは言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしは羊たちの門です。
わたしの前に来た者たちはみな、盗人であり強盗です。羊たちは彼らの言うことを聞きませんでした。
わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら救われます。また出たり入ったりして、牧草を見つけます。
盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかなりません。わたしが来たのは、羊たちがいのちを得るため、それも豊かに得るためです。
わたしは良い牧者です。良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます。
牧者でない雇い人は、羊たちが自分のものではないので、狼が来るのを見ると、置き去りにして逃げてしまいます。それで、狼は羊たちを奪ったり散らしたりします。
彼は雇い人で、羊たちのことを心にかけていないからです。
わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っており、わたしのものは、わたしを知っています。
ちょうど、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じです。また、わたしは羊たちのために自分のいのちを捨てます。”
ヨハネの福音書 10章1~15節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

「イスラエルに来ると黒白写真がカラーになるよう」とツアーガイドの人が言っているのを聞いたことがありますが、その様な経験をした方はいらっしゃるでしょうか?「主は私の羊飼い。 私は、乏しいことがありません。 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。」詩篇23編1−2私が緑の牧場と聞くと、緑がたくさーーーん溢れ、食べるものにも困らず、水も豊富にあってオアシスの様な所。 その様な場所に神様は連れていってくれるから、安心して休める・・・という様なイメージがありました。しかし、この映像を見て、「えっ!聖書の言う緑の牧場ってこういうことなの?!?」とびっくり!イメージ次第で変わってくるメッセージ! ぜひご覧ください!イスラエルのことを知って、または来てみて新しい発見があった!という方はぜひコメント欄にシェアお願いします^^みちおVideo Credit : Ray Vander Laan

Bridges for Peace Japanさんの投稿 2018年1月23日火曜日

“御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。御子は罪のきよめを成し遂げ、いと高き所で、大いなる方の右の座に着かれました。”ヘブル人への手紙 1章3節

“そういうわけで、子たちがみな血と肉を持っているので、イエスもまた同じように、それらのものをお持ちになりました。それは、死の力を持つ者、すなわち、悪魔をご自分の死によって滅ぼし、死の恐怖によって一生涯奴隷としてつながれていた人々を解放するためでした。”ヘブル人への手紙 2章14~15節

“私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです。ですから私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、折にかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。”ヘブル人への手紙 4章15~16節

雄やぎと雄牛の血や、若い雌牛の灰を汚れた人々に振りかけると、それが聖なるものとする働きをして、からだをきよいものにするのなら、
まして、キリストが傷のないご自分を、とこしえの御霊によって神にお献げになったその血は、どれだけ私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者にすることでしょうか。”ヘブル人への手紙 9章13~14節

私たちには、神の家を治める、この偉大な祭司がおられるのですから、心に血を振りかけられて、邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われ、全き信仰をもって真心から神に近づこうではありませんか。約束してくださった方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白し続けようではありませんか。”ヘブル人への手紙 10章21~23節

“信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。この方は、ご自分の前に置かれた喜びのために、辱めをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されたのです。”ヘブル人への手紙 12章2節


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