「ルカの福音書」 連続講解説教

「キリストは先ずこの内を満たす」

ルカの福音書第3章7節〜18節
岩本遠億牧師
2021年12月5日


ヨハネは、彼からバプテスマを受けようとして出て来た群衆に言った。
「まむしの子孫たち。だれが、迫り来る怒りを逃れるようにと教えたのか。それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。『われわれの父はアブラハムだ』という考えを起こしてはいけません。言っておきますが、神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子らを起こすことができるのです。斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木はすべて切り倒されて、火に投げ込まれます。」

群衆はヨハネに尋ねた。「それでは、私たちはどうすればよいのでしょうか。」ヨハネは答えた。「下着を二枚持っている人は、持っていない人に分けてあげなさい。食べ物を持っている人も同じようにしなさい。」

取税人たちもバプテスマを受けにやって来て、ヨハネに言った。「先生、私たちはどうすればよいのでしょうか。」ヨハネは彼らに言った。「決められた以上には、何も取り立ててはいけません。」

兵士たちもヨハネに尋ねた。「この私たちはどうすればよいのでしょうか。」ヨハネは言った。「だれからも、金を力ずくで奪ったり脅し取ったりしてはいけません。自分の給料で満足しなさい。」

人々はキリストを待ち望んでいたので、みなヨハネのことを、もしかするとこの方がキリストではないか、と心の中で考えていた。

そこでヨハネは皆に向かって言った。「私は水であなたがたにバプテスマを授けています。しかし、私よりも力のある方が来られます。私はその方の履き物のひもを解く資格もありません。その方は聖霊と火で、あなたがたにバプテスマを授けられます。また手に箕を持って、ご自分の脱穀場を隅々まで掃ききよめ、麦を集めて倉に納められます。そして、殻を消えない火で焼き尽くされます。」

このようにヨハネは、ほかにも多くのことを勧めながら、人々に福音を伝えた。

ルカの福音書 第3章7~18節
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神の権威による統治が行われていない時代

神のことばが、荒野でザカリヤの子ヨハネに臨んだ。
神による歴史への介入は人がいない荒野で始まった。

ヨルダン川、ヨハネはこの辺りでバプテスマ活動を行っていた。

洗礼者ヨハネに対する印象=厳しい神の裁きを語る者
まむしの子孫たち=悪魔の子供たち

ユダヤ教における理解
アブラハムの子孫=神の民
救い=イスラエルを支配する外国からの解放
罪からの救いという概念はなかった。

ユダヤ教におけるバプテスマ(洗礼)
異教徒がユダヤ教に改宗する時に割礼の前に求められた儀式
→ユダヤ人には必要ない

ヨハネの洗礼運動:ユダヤ民族が持っていた前提を覆すもの
→ユダヤ人たちと論争がおこる
罪の赦しが必要
罪の赦し←神に立ち帰る 自分の道、考えから
立ち帰りの印としてバプレスマを受けよ

「では、私の罪とは何か?」との問う者たち
人間の本質的な問題:自分の罪が分からない、自分の罪に無自覚

「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」レビ記19:18
   
なぜヨハネは、洗礼を受けに来た群衆に「悪魔の子孫たちよ」よと激しい言葉を言ったのか?

「何をすれば良いのですか?」・・・自分の罪に無自覚

ヨハネは答えた。「下着を二枚持っている人は、持っていない人に分けてあげなさい。食べ物を持っている人も同じようにしなさい。」

下着を持たない貧しい人、食べ物を持たない飢えた人がすぐそばにいるのに、下着を何枚も持っている人、食べ物を持っている人が、「私はどうすれば良いのですか」と問う。
  ↑
罪に無自覚

取税人たちもバプテスマを受けにやって来て、ヨハネに言った。「先生、私たちはどうすればよいのでしょうか。」ヨハネは彼らに言った。「決められた以上には、何も取り立ててはいけません。」

兵士たちもヨハネに尋ねた。「この私たちはどうすればよいのでしょうか。」ヨハネは言った。「だれからも、金を力ずくで奪ったり脅し取ったりしてはいけません。自分の給料で満足しなさい。」
 
自分の罪に無自覚な群衆に対して、ヨハネは彼らの罪を指摘した。
罪から神に立ち帰ることを求めた。

ルカの福音書 19章7~10節
“人々はみな、これを見て、「あの人は罪人のところに行って客となった」と文句を言った。しかし、ザアカイは立ち上がり、主に言った。「主よ、ご覧ください。私は財産の半分を貧しい人たちに施します。だれかから脅し取った物があれば、四倍にして返します。」
イエスは彼に言われた。「今日、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。」”
              ↑
ザアカイは、イエスの愛に触れられた時、罪を知った。彼は、「私は何をすれば良いか」とは言わなかった。彼は、自分が何をしなければならないかを知った。

ヨハネは、彼からバプテスマを受けようとして出て来た群衆(ochlos)に言った。

群衆(ochlos)はヨハネに尋ねた。「それでは、私たちはどうすればよいのでしょうか。」

人々(laos)はキリストを待ち望んでいたので、みなヨハネのことを、もしかするとこの方がキリストではないか、と心の中で考えていた。

そこでヨハネは皆に向かって言った。「私は水であなたがたにバプテスマを授けています。しかし、私よりも力のある方が来られます。私はその方の履き物のひもを解く資格もありません。その方は聖霊と火で、あなたがたにバプテスマを授けられます。また手に箕を持って、ご自分の脱穀場を隅々まで掃ききよめ、麦を集めて倉に納められます。そして、殻を消えない火で焼き尽くされます。」

このようにヨハネは、ほかにも多くのことを勧めながら、人々(laos)に福音を伝えた(=慰めた)。

群衆: ochlos 雑多な人の群れ a crowd, the common people, mob

人々: laos 神の民 God‘s chosen people“会堂司クリスポは、家族全員とともに主を信じた。また、多くのコリント人も聞いて信じ、バプテスマを受けた。ある夜、主は幻によってパウロに言われた。「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるので、あなたを襲って危害を加える者はいない。この町には、わたしの民(laos)がたくさんいるのだから。」そこで、パウロは一年六か月の間腰を据えて、彼らの間で神のことばを教え続けた。”
使徒の働き 18章8~11節
                   
まだ主に出会っていない主の民のために語り続けた

ヨハネのバプテスマを受けたのはラオス

ラオス・・・救い主を待ち望むものたち。自らの罪に苦しむもの
      神の言葉を実践できないことを苦しむもの

神はご自分の民ラオスによって、この世を救おうとしておられる。

ヨハネの告白
私はキリストではない。私はキリストの奴隷にもなれない。それほどキリストは偉大である。

キリスト:聖霊と火とのバプテスマをお授けになる     

人にできること:水のバプテスマを授ける/水のバプテスマを受ける→神様の業を待つ

神様にしかできないこと:人間を根源的に作り変え、新しい存在にする。

キリストの分身としてこの世に神の光を満たす。
この世に神の国を満たす。

脱穀場を隅々まで清める=麦(神の子の実存)と殻(罪)をわけて、殻を焼く

今のあなたがた=麦と殻が分かれていない状態

私たちの罪を焼き尽くしてくださるお方が来る。
私たちを神の子の尊厳に輝かせてくださるお方が来る。

水でバプテスマされたラオスを聖霊と火で完成するキリストが来た。

「イエス・キリストの御名によってバプテスマを受けなさい。
そうすれば、賜物として聖霊を受けます。」使徒の働き2:38

神の恵みに対する人の応答(=不完全)
→神がさらに聖霊によってご自分の姿へと完成してくださる。

「また手に箕を持って、ご自分の脱穀場を隅々まで掃ききよめ、麦を集めて倉に納められます。そして、殻を消えない火で焼き尽くされます。」

キリストは、この情けなさも、絡みつく罪も、傷つけられた記憶も、不安も、痛みも、悲しみも、全てを焼き尽くしてくださる。

キリストの姿を映す尊い神の子である私たちをご自分の宝として用いてくださる。

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