「マタイの福音書」連続講解説教

「私」ではなく「私たち」

マタイの福音書第6章9〜13節
岩本遠億牧師
2019年10月20日

『天にいます私たちの父よ。御名が聖なるものとされますように。御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。私たちの負い目をお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。私たちを試みにあわせないで、悪からお救いください。』マタイの福音書 6章9~13節

○私たちの父よ   ×私の父よ

「私たちの天の父」という言葉によって思い浮かぶ人
=あなたによって神の国がもたらされる人

マタイの福音書 5章23~24節
“ですから、祭壇の上にささげ物を献げようとしているときに、兄弟が自分を恨んでいることを思い出したなら、ささげ物はそこに、祭壇の前に置き、行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから戻って、そのささげ物を献げなさい。” 

ネヘミヤ記 1章4~7節
“このことばを聞いたとき、私は座り込んで泣き、数日の間嘆き悲しみ、断食して天の神の前に祈った。「ああ、天の神、主よ。大いなる恐るべき神よ。主を愛し、主の命令を守る者に対して、契約を守り、恵みを下さる方よ。どうか、あなたの耳を傾け、あなたの目を開いて、このしもべの祈りを聞いてください。私は今、あなたのしもべイスラエルの子らのために、昼も夜も御前に祈り、私たちがあなたに対して犯した、イスラエルの子らの罪を告白しています。まことに、私も私の父の家も罪を犯しました。私たちはあなたに対して非常に悪いことをして、あなたのしもべモーセにお命じになった、命令も掟も定めも守りませんでした。”

「だれかが弱くなっているときに、私は弱くならないでしょうか。だれかがつまずいていて、私は心が激しく痛まないでしょうか。」
コリント人への手紙 第二 11章29節

ヨハネの福音書 17章20~23節
“わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにも、お願いします。父よ。あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちのうちにいるようにしてください。あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるようになるためです。またわたしは、あなたが下さった栄光を彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。わたしは彼らのうちにいて、あなたはわたしのうちにおられます。彼らが完全に一つになるためです。また、あなたがわたしを遣わされたことと、わたしを愛されたように彼らも愛されたことを、世が知るためです。”

御名が聖なるものとされますように。

神の御名は私たちが祈らなくても「聖」。
なぜ、このように祈ることを教えられたのか?

マザー・テレサの」祈り 
『自分より他人を』

「主よ、私が空腹を覚えるとき、パンを分ける相手に出会わせてください。
のどが渇くとき、飲み物を分ける相手に出会えますように。
寒さを感じるとき、暖めてあげる相手に出会わせてください。
不愉快になるとき、喜ばせる相手に出会えますように。
私の十字架が重く感じられるとき、だれかの重荷を背負ってあげられますように。
貧しくなるとき、貧しい人に出会わせてください。
ひまがなくなるとき、時間を割いてあげる相手に出会えますように。
私が屈辱を味わうとき、だれかを褒めてあげられますように。
気が滅入るとき、だれかを力づけてあげられますように。
理解してもらいたいとき、理解してあげる相手に出会えますように。
かまってもらいたいとき、かまってあげる相手に出会わせてください。
私が自分のことしか頭にないとき、私の関心が他人にも向きますように。
空腹と貧困の中に生き、そして死んでいく世の兄弟姉妹に奉仕するに値する者となれますように。
主よ、私をお助けください。
主よ、私たちの手をとおして日ごとのパンを今日彼らにお与えください。
私たちの思いやりをとおして、 主よ、彼らに平和と喜びを与えください。」


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