「マタイの福音書」連続講解説教

いのちの道が聞こえるか

マタイの福音書第7章13〜14節
岩本遠億牧師
2020年1月5日

狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広く、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門はなんと狭く、その道もなんと細いことでしょう。そして、それを見出す者はわずかです。マタイの福音書 7章13~14節

人生は選択の連続と言われる
広い道と狭い道の選択

広い道(多くの人が通る)→滅び
狭い道(見出す者が少ない)→いのち

見出すものが少ないのなら、そもそもどうやって選択すれば良いのか?

“シモン・ペテロがイエスに言った。「主よ、どこにおいでになるのですか。」イエスは答えられた。「わたしが行くところに、あなたは今ついて来ることができません。しかし後にはついて来ます。」
ペテロはイエスに言った。「主よ、なぜ今ついて行けないのですか。あなたのためなら、いのちも捨てます。」
イエスは答えられた。「わたしのためにいのちも捨てるのですか。まことに、まことに、あなたに言います。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います。」“ ヨハネの福音書 13章36~38節

→自分の意志と決心で狭い門を通ることはできない

選んでいるのか?
それとも選ばれているのか?

自分の存在に関わる最重要事項
→自分で選ぶことはできない

私たちにできることはそれに応答すること

滅びに至る広い門vs.いのちに至る狭い門
=命を与えるお方との関係

「わたしはあなたを地の果てから連れ出し、地の隅々から呼び出して言った。『あなたは、わたしのしもべ。わたしはあなたを選んで、退けなかった』と。恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。」イザヤ書 41章9~10節

「あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました。それは、あなたがたが行って実を結び、その実が残るようになるため、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものをすべて、父が与えてくださるようになるためです。」ヨハネの福音書 15章16節

「トマスはイエスに言った。『主よ、どこへ行かれるのか、私たちには分かりません。どうしたら、その道を知ることができるでしょうか。』
イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。』」
ヨハネの福音書 14章5~6節

「そこで、再びイエスは言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしは羊たちの門です。・・・わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら救われます。また出たり入ったりして、牧草を見つけます。・・・わたしが来たのは、羊たちがいのちを得るため、それも豊かに得るためです。わたしは良い牧者です。良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます。」
ヨハネの福音書 10章7以下

「私の霊が私のうちで衰え果てたときにもあなたは私の道をよく知っておられます。私が歩くその道に彼らは罠を仕掛けています。」詩篇 142篇3節

「ああ、シオンの民、エルサレムに住む者。もうあなたは泣くことはない。あなたの叫ぶ声に応え、主は必ず恵みを与え、それを聞くとき、あなたに答えてくださる。
たとえ主があなたがたに苦しみのパンと虐げの水を与えても、あなたを教える方はもう隠れることはなく、あなたの目はあなたを教える方を見続ける。
あなたが右に行くにも左に行くにも、うしろから『これが道だ。これに歩め』と言うことばを、あなたの耳は聞く。」
              イザヤ書 30章19~21節

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