「マタイの福音書」連続講解説教

この喜びは消せない

マタイの福音書第9章14節〜17節
岩本遠億牧師
2020年3月22日

それから、ヨハネの弟子たちがイエスのところに来て、「私たちとパリサイ人はたびたび断食をしているのに、なぜあなたの弟子たちは断食をしないのですか」と言った。イエスは彼らに言われた。「花婿に付き添う友人たちは、花婿が一緒にいる間、悲しむことができるでしょうか。しかし、彼らから花婿が取り去られる日が来ます。そのときには断食をします。だれも、真新しい布切れで古い衣に継ぎを当てたりはしません。そんな継ぎ切れは衣を引き裂き、破れがもっとひどくなるからです。また、人は新しいぶどう酒を古い皮袋に入れたりはしません。そんなことをすれば皮袋は裂け、ぶどう酒が流れ出て、皮袋もだめになります。新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れます。そうすれば両方とも保てます。」
                     マタイの福音書 9章14~17節

律法学者たちからの非難←罪を赦す権威
パリサイ人たちからの非難←罪人との食事

ヨハネの弟子たちからの非難←断食しない
     ↑
取税人たちとの会食

断食:熱心な宗教家週に2度の断食
    太陽が出ている間は、飲食しない
・深い罪の自覚を表す
・恐れをもって神に近づく者の熱心な祈り
・悔改めの行為
・人の罪の赦しの祈り
・危急存亡の祈り

ローマ帝国に支配され、神の民イスラエルが偶像礼拝者に辱められている。
→イスラエルの復興を求める断食

ヘロデ王による洗礼者ヨハネの投獄
→彼の弟子たちによる断食祈祷

主イエスもヨハネ投獄前は、ヨハネのグループと共に活動

今こそ、あなたも断食して祈る時ではないのか?ローマ帝国の御先棒をかつぐ取税人たちと宴会を開くとは何事か?

「花婿に付き添う友人たちは、花婿が一緒にいる間、悲しむことができるでしょうか。しかし、彼らから花婿が取り去られる日が来ます。そのときには断食をします。

主イエス:断食そのものは否定しない
      伝道開始の前40日40夜の断食
      山上の説教における断食の心構え

主イエスのここでの主張
「ここに婚礼の喜びがある」
主イエスの周囲には、癒され、回復させられた喜びが沸き立っていた。

食事は礼拝
和解の捧げ物:献げ物として捧げた牛や羊を、神様の前でレビ人や家族と一緒に食べる

→主イエスは共に食べるということを非常に大事にされた

・2匹の魚と5つのパンによる五千人の給食
・最後の晩餐
・復活後のガリラヤ湖畔での朝食
・復活後のエマオでの食事

新しいぶどう酒は新しい皮袋に

新しいぶどう酒=発酵中の泡立つぶどう酒

皮袋=羊や山羊の皮で作る
新しい皮袋=乾燥していない、柔らかい皮袋

エレツ・イスラエル博物館/Eretz Israel Museum

新しいぶどう酒=喜びが沸き立つ命

古い皮袋=苦しみや、悲しみの信仰
     律法学者、パリサイ人、ヨハネの弟子

新しい皮袋=ハンセン病の人、百人隊長
      中風の人とその友人、取税人たち
      病を癒された人々
      悪霊に苦しめられていた人たち

さらに大きな視点で見る

新しいぶどう酒=主イエスご自身、主イエスの血
古い皮袋=人の世

人の世は、沸き立つ命を持つ主イエスをその中に入れておくことはできず、破れてしまった
→主イエスが十字架に流した血
→主イエスの十字架の血が私たちにも届いた

私たちの実存を回復させ、喜びに満たす十字架の血

“あなたがたも今は悲しんでいます。しかし、わたしは再びあなたがたに会います。そして、あなたがたの心は喜びに満たされます。その喜びをあなたがたから奪い去る者はありません。
その日には、あなたがたはわたしに何も尋ねません。まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしの名によって父に求めるものは何でも、父はあなたがたに与えてくださいます。
今まで、あなたがたは、わたしの名によって何も求めたことがありません。求めなさい。そうすれば受けます。あなたがたの喜びが満ちあふれるようになるためです。”   ヨハネの福音書 16章22~24節

“これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。」”
ヨハネの福音書 16章33節

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