「マタイの福音書」連続講解説教

イエスは、全人類の、そして、あなたのメサイア

マタイの福音書22章41節〜46節
岩本遠億牧師
2021年4月18日

“パリサイ人たちが集まっていたとき、イエスは彼らにお尋ねになった。「あなたがたはキリストについてどう思いますか。彼はだれの子ですか。」彼らはイエスに言った。「ダビデの子です。」イエスは彼らに言われた。「それでは、どうしてダビデは御霊によってキリストを主と呼び、『主は、私の主に言われた。「あなたは、わたしの右の座に着いていなさい。わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまで」』と言っているのですか。ダビデがキリストを主と呼んでいるのなら、どうしてキリストがダビデの子なのでしょう。」するとだれ一人、一言もイエスに答えられなかった。その日から、もうだれも、あえてイエスに質問しようとはしなかった。”マタイの福音書 22章41~46節

キリストとはいったい何か?
ヘブライ語 メシアッハ (英語 メサイア)
ギリシャ語 クリストス

元々の意味=油注がれた者
    神によって任命された特別職
    ・祭司(モーセ の兄アロンが初代)
    ・王(サウルが初代
      ダビデが2代目
      →ユダ王国において継承。バビロン捕囚から帰還後のゼルバベルが聖書に記録される最後)

メシア(軍事的、政治的メシア)渇望の時代
紀元前583年 ペルシャのキュロス大王によるバビロン捕囚解放→エルサレム帰還、神殿再建

マケドニアのアレキサンダー大王のギリシャ時代:シリアのプトレマイオス朝、セレウコス朝の支配
非常に困難な時期、預言者も与えらない。エルサレム神殿で豚が捧げられる←耐えがたい屈辱
           ↓
ユダヤは、シリアに対して約百年間の独立

パリサイ主義者たちや、サドカイ主義者たちの出現→ユダヤ神学体系の成立

紀元前63年、ローマのポンペイウスによるエルサレム占領
→エドマヤ人ヘロデがローマの傀儡王朝となる

メシア(軍事的、政治的メシア)渇望の時代
各地で反ローマ独立運動=偽メシアの出現の時代

メシア渇望の根拠
=ダビデ契約 第一歴代誌17章11節以下

17:11 あなたの日数が満ち、あなたがあなたの先祖たちのもとに行くようになるなら、わたしは、あなたの息子の中から、あなたの世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。 17:12 彼はわたしのために一つの家を建て、わたしはその王座をとこしえまでも堅く立てる。 17:13 わたしは彼にとって父となり、彼はわたしにとって子となる。わたしはわたしの恵みをあなたの先にいた者から取り去ったが、わたしの恵みをそのように、彼から取り去ることはない。 17:14 わたしは、彼をわたしの家とわたしの王国の中に、とこしえまでも立たせる。彼の王座は、とこしえまでも堅く立つ。」

ダビデの子孫からイスラエル王朝を確立する王(ダビデと同じような王)が現れるとの期待

イエスの問い=真のメシアとは何か?
          政治的・軍事的王(=ダビデの子)か?
          それ以上の存在か?

「17:13 わたしは彼にとって父となり、彼はわたしにとって子となる。」

マタイの福音書 3章16~17節(ヨハネからバプテスマ)
“イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると見よ、天が開け、神の御霊が鳩のようにご自分の上に降って来られるのをご覧になった。そして、見よ、天から声があり、こう告げた。「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。」”

マタイの福音書 17章5節(変貌の山)
“彼(ペテロ)がまだ話している間に、見よ、光り輝く雲が彼らをおおった。すると見よ、雲の中から「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞け」という声がした。”

イエスのメシア理解
=神の子(神と同じ本質を持つ者)
=ダビデ大王が私の主と呼ぶ者

荒野における悪魔の試み
「もしあなたが神の子なら」
=「あなたは神の子なのだから」

悪霊たちの告白
「あなたは神の子です」

汚れた霊どもは、イエスの本質を知っていた。
しかし、人の目には隠されていた。人は、聖霊によらなければイエスの本質を知ることができない。

「 それでは、どうしてダビデは御霊によってキリストを主と呼び、『主(YHVH)は、私の主に言われた。「あなたは、わたしの右の座に着いていなさい。わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまで」』と言っているのですか。ダビデがキリストを主と呼んでいるのなら、どうしてキリストがダビデの子なのでしょう。」

マタイの福音書 16章15~17節
“イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」シモン・ペテロが答えた。「あなたは生ける神の子キリストです。」
すると、イエスは彼に答えられた。「バルヨナ・シモン、あなたは幸いです。このことをあなたに明らかにしたのは血肉ではなく、天におられるわたしの父です。”

コリント人への手紙 第一 12章3節
「ですから、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも「イエスは、のろわれよ」と言うことはなく、また、聖霊によるのでなければ、だれも「イエスは主です」と言うことはできません。」

イエスの十字架の道
=政治的軍事的王としての道を捨てる
→永遠の王として十字架の血によって悪魔を打ち倒す
=永遠の大祭司として、永遠にただ一度の罪の贖いをなす(=全人類の罪を覆い尽くす血を流す)
=これこそが神の子の実存である

“しかしキリストは、すでに実現したすばらしい事柄の大祭司として来られ、人の手で造った物でない、すなわち、この被造世界の物でない、もっと偉大な、もっと完全な幕屋を通り、また、雄やぎと子牛の血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度だけ聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられました。
 雄やぎと雄牛の血や、若い雌牛の灰を汚れた人々に振りかけると、それが聖なるものとする働きをして、からだをきよいものにするのなら、まして、キリストが傷のないご自分を、とこしえの御霊によって神にお献げになったその血は、どれだけ私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者にすることでしょうか。
ヘブル人への手紙第9章11〜14節

“なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。”
ローマ人への手紙 10章9節

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