ローマ人への手紙

イエス様は生きている

ローマ人への手紙6章5節ほか
岩本遠億牧師
2008年3月23日

「もし私たちが、キリストに継ぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです」ローマ6:5.

「もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。」ローマ8:11.

「15:42 死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、 15:43 卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえらされ、 15:44 血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。」Iコリント15: 42~44

+++

今日は、このようにして復活祭の礼拝を迎えられることを、心から感謝し、喜んでおります。イエス様の復活をお祝いするこの時、私たちは、「イースターおめでとうございます」と言いますが、イエス様が甦られたことが、私たち一人一人の存在にとって実に喜ばしい、めでたい、嬉しいことだということを、今日本当に経験したい。それが、私の願いです。

William Gaither、Gloria Gaither夫妻が作ったBecause He liveという賛美があります。日本語には、「主は今生きておられる」とか「イエスがいるから」という訳で知られています。

http://jp.youtube.com/watch?v=Prf_HKU6PW8&feature=related

1960年代の末期、ベトナム戦争の泥沼に喘ぐアメリカでは、全ての人が失望し、未来に希望が持てず麻薬に溺れていました。また社会では「神は死んだ」という思想が蔓延し、人々の心が虚無感に襲われ、人種問題で社会が緊張し疲れていました。

そんな時、Gloriaは3人目の子供を妊娠しました。しかし、この3人目の子供は、すぐ上の子が生まれて僅か3ヶ月という、決して理想的ではないタイミングで妊娠した子だったのです。それだけでなく、William自身もウイルス性の感染症で苦しみ、教会でも善意で行ったことが悪意と取られるような苦しみの中にありました。人々は言いました。こんな時生まれてくる子供は可愛そうだと。そんな中で生まれたのが、Benjaminだったのです。

彼らは歌いました。人々は時代に希望が持てないという。人生に希望がないと言う。しかし、イエスが生きているから、希望がある。イエスが生きているから、明日に立ち向かうことができる。イエスが生きているから、恐れは取り去られ、人生は生きる価値があるのだと。そして、この歌は、失望と倦怠感に潰れていたアメリカに希望を与え、その年1970年のGospel Song of the yearに選ばれました。

私たちも同様ではないでしょうか。多くの人々が未来に希望を持つことができずにいるのが今の時代です。スピリチュアル・ブームということで、根拠のない占いやスピリチュアル・カウンセラーというような人々が幅を利かせるのは、人々の中に希望がないからです。未来を握ってくださっている神様を信じることができずにいるからです。また、私たち自身の中にも、私たちの人間関係の中にも問題や苦しみがある。希望を持つと裏切られるだけだと囁いて、私たちを失望させようとするものがいる。しかし、そんな中にいる私たちに近づいてきて、「わたしは生きているぞ。わたしは死を打ち破った」と言ってご自身を現して下さるイエス様がいるのです。私たちは、この方によって生きるのです。この方が死を打ち破って復活し、今も生きているからです。

今日の復活礼拝のために、私は「復活の体」というメッセージを用意していました。しかし、昨日の夜になって、今日の復活祭の礼拝では、私自身の「イエス様は生きている」という証しをしようという強い思いが湧いてきました。死んでいたに等しい私の心と体に圧倒的な復活の命を注いで生かしてくださった方がいる。聖書の言葉を織り交ぜながら、この方を証し、復活メッセージとしたいと思います。聖書の箇所は、その度ごとに引用します。

私は、キリスト伝道者の家に生まれました。小さい時からイエス様は十字架に殺されたけれども甦って今も生きているという話しを聞いて育ち、また、酷い状況や病気から奇跡的に救われ癒された人たちの証や姿を見ていました。イエス様が生きているということは、当たり前のことでした。小学校3年生のころから自分の意志で礼拝に出席するようになり、祈ると不思議な喜びが湧いてくるのを経験していました。小学校5年生の時には、学校との友達を次々に連れてきたりして、イエス様を伝えたいと思うようになると共に、生きているイエス様の御霊に触れられる不思議な経験をしました。そして、高校2年の時、イエス様に自分の生涯を捧げる決心をし、伝道者として生きて生きたいと願うようになっていました。

ところが、私が当時属していた教団は、普通の教会ではなく、内村鑑三先生の流れを汲む無教会の一派だったため、神学校に進むこともなく、一般の大学に進学しました。

しかし、私は大学生になってから、信仰がぐらついてきました。そのきっかけとなったのは、私が中学校2年生の時、私に遠億という名前を付けてくれた教団の創設者であった先生が亡くなったことです。その先生の死を境に、教団に異端的思想が入り込みました。先生があまりにもカリスマ的な力に満ちた方、癒しや預言的賜物に秀でた人だったため、その先生を神格化しようとする勢力が現れ、教団を牛耳ってしまったのです。

私の父は、そのような異端的教団の指導者グループに自分の身を置くことを潔しとせず、私が高校2年生の時、教団の伝道者を辞任し、長崎から小田原に引っ越していきました。高校2年生だった私は、長崎に残り、祖母と暮らしていました。そのような混乱の中で私は、酷く傷つき、吃音となり、人前で話すことが出来なくなりました。

大学進学と共に東京に出てきて、下宿生活を始めましたが、私の信仰はぐらつきました。その教団こそが唯一つの正しいキリスト信仰を持った教団であって、自分たちこそが世界の光として働くのだという使命感を持って生きていました。しかし、教団の中に働く欺瞞、創設者の神格化という偶像礼拝、金の力で人の心を買おうとする偶像礼拝推進者の動きを見て、私は、すっかり分からなくなってしまいました。小さい時から一緒に育ち、共にイエス様のために生きようと誓い合った友たちとの友情と愛着、そして一方では教団の中にある欺瞞と罪に対する怒り、私の心は真っ二つに引き裂かれてしまい、何が何だか分からなくなってしまったのです。

分からなくなると、罪にも弱くなります。私は、自分の欲望を肯定し、罪の思いに従って生きたいという思いにすっかり取り付かれてしまいました。信仰を持っていることが重荷になりました。何故信仰を持っているのか。親が伝道しているからであって、自分から求めたものではない。人生の苦難の中で自分から求めて得た信仰でなければ、本物でない。こんな偽物の信仰なんかないほうが良いと思いました。

勿論、それは、間違った考えでした。親が伝道していたから与えられた信仰、これはすばらしい信仰だったのです。小さい時から聖書の言葉に触れ、祈りの喜びを知り、賛美の楽しさを知ることが出来た。それは、神様の恵みでした。

しかし、それらのものを全て捨てたいと思った。それは、私の内に働いた罪です。私は、神様と関係のない生き方をしなければならないと思うようになりました。私は、信仰を捨てました。滅びなければならないのなら、仕方がないと思いました。私の内に働いた罪が私を滅びに引きずり込もうとしていたのです。

当時、私には、付き合っている人がいました。イエス様を伝えたことがきっかけで付き合うようになった人です。しかし、信仰を捨てた私には、彼女との関係が苦しくなってしまい、彼女と一緒にいることができなくなり、一方的に傷つけ、別れてしまったのです。

私は、信仰を捨て、自分勝手な生き方が出来るはずでした。私は自由を手に入れた筈でした。しかし、私は本当に不自由になっていったのです。毎晩のように悪夢を見るようになりました。自分が死んで、虚無の中に吸い込まれていくという夢です。悪魔にぎゅっと握られて、逃げ出すことができない夢です。夜になると悪夢の予感のために眠ることができません。

お酒を飲みながら夜更かしをし、明け方寝るという生活を続けるうちに、心も体も病んでしまいました。1980年から81年の冬は、40度ほどの熱が断続的に続き、医者に処方された薬を飲んでは、熱が下がり、またすぐに熱が出るという状態に陥りました。後で受けた健康診断で、胸に二つの影ができていたことがわかりました 。一つは結核、もう一つは名前は忘れましたが。また、自分から走っている車に吸い込まれていくような感覚があり、道を歩くことに恐怖を感じるようになりました。

生きている意味も希望も健康も全てを失い、私は絶望しました。私の目の前にあるのは死の恐怖。私は自分が死ぬべき存在、滅ぶべき存在であるという現実の前に震えました。

そんな、絶望した状態にありながら、私は、教団の伝道者を辞任した後も、小田原の自宅で小さな集会を持ち、そこでしか信仰を守ることができなかった弱い数名の人たちのために聖書を語り続けていた父の伝道のあり方を批判したりしていました。そんなことをやって何の意味があるのか。人を燃え立たせるようなメッセージをするわけでもない。伝道に熱意が感じられないなど、言いたい放題のことを言って、父を否定しようとしました。

そこに集められていたのは、社会的な力も弱い数名の人たちでした。そこに来る以外に生きることができない人たちだったのです。そういう人たちのために父は、自分で仕事をして収入を得、東京と京都で下宿をしている息子たちに仕送りをしながら、聖書を語っていたのです。実際、医者が見捨てた末期癌の患者の方が祈りによって癒されるという奇跡が起きたりもしていたのです。しかし、虚しさに取り付かれ、絶望していた私は、全てを否定し、愛を否定せずにはいられないもので心が満たされていたのです。

そんな3月のある日、私は、自分の勝手な思いから一方的に別れを告げた彼女と大学の図書館の前でばったり出会いました。私は、また、棘のある言葉を彼女に投げかけながら、自分の具合の悪さを話したようです。自分が何を言ったかはよく覚えていません。しかし、彼女は、私にすぐに手紙をくれました。それには次のように書いてありました。

「あなたは、あなたが私を傷つけたと言っていましたが、そのことについては、私はよく分かりません。ただ、あなたが私に別れを告げたあの日、私の内側に賛美が湧いて来て、悲しみがなくなっていくのを感じました。私は、賛美を歌いながら帰りました。・・・あなたには、人の持っていない知識があるでしょう。あなたには、人が持っていない力もあるかもしれない。でも、あなたが言っていたことはおかしいと思います。なぜ、あなたは自分の知識や自分の力で生きようとするのですか。もし神が愛なのなら、どうして、神の愛に信頼して生きようとしないのですか。あなたのために祈っています。」

「もし神が愛なのなら、どうして、神の愛に信頼して生きようとしないのですか」という言葉が、私の胸を貫きました。そして、この人が私を赦し、私のために祈ってくれていたことを知ったのです。私は思いました。「私は神様のところに帰らなければならない。」

私は、以前集っていた礼拝に戻りました。しかし、以前持っていた信仰の喜びは帰ってきません。相変わらず体調は悪い、悪夢は見続ける。礼拝に戻ったという事実だけでは、私は絶望から抜け出すことはできませんでした。一度与えられていた信仰を自分から捨ててしまった。愛を否定した。もう、自分は救われないのではないか。もうお前は駄目なのだと、ますます絶望が押し寄せてきます。

1981年の夏、その教団の特別集会が水上温泉で持たれることになりました。私は、具合が悪くて勉強もアルバイトもせず、時間を持て余していましたので、ただ何となく、何を期待するでもなく、参加を申し込みました。出発の前日から熱が出て、解熱剤を飲みながら電車に乗りました。しかし、この水上温泉での集会で、私は生けるイエス様に出会ったのです。

二日目の夜、当時東京で伝道しておられた高橋先生が、ハワイのモロカイ島でハンセン病の患者のために一生涯を捧げたカトリックのダミエン神父の話をなさいました。私は、ダミエン神父の生涯については中学生の時から知っていました。伝記も読んでいました。しかし、自分の全てを捧げて、全世界から捨てられ、否定されたハンセン病の方々のために、自らハンセン病となり、彼らに神の愛を伝え、野獣のような生活をしていた彼らを天使のような心を持つ者へと導いたダミエン神父の生涯についての話をもう一度新たに、初めて聞くような思いで聞きました。
そして話しの最後に、「十字架に血を流されたキリストの命を受け、生かされ、新たにされた者たちが、今度は、自分の命を注ぎだすことによって、キリストの歴史は綴られてきたのです。私たちも、自分の命を注ぎ出す者となろうではありませんか」と高橋先生が叫ばれたとき、私は、心の底から、私もそういう者でありたいと願いました。気が付いた時には、「私を南洋伝道に導いてください。言語学の知識を用いて、あなたを知らない人たちにあなたを伝えさせてください」と祈っていました。なぜか理屈は分かりません。しかし、私は自分の内側に何かが始まったことを感じました。

続く男性だけの集会で、私は高橋先生に「私のために祈ってください」とお願いしました。先生は、私の頭に手を置いて一言、「天のお父様。この兄弟をその名前のように」と祈ってくださいました。その言葉が最後まで言われる前に、イエス様の圧倒的な命が私を覆いました。

死んでいた私の心、死んだも同然だった私の体、それにイエス様の復活の命が注がれたのです。お腹の底から湧き上がる喜び、燃え上がる命、聖霊の満たし。この死ぬべき体にイエス様の命が注がれ、細胞の一つ一つが甦っていく。胸にあった二つの影がその場で消えてなくなったのが分かりました。

パウロは告白しました。「もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。」ローマ8:11.

イエス様を死者の中から甦らせた方の御霊が、私に注がれ、私の死ぬべき体を生かしてくださったのです。今も生きているイエス様が私を救ってくださった。癒し、赦し、生かしてくださったのです。私は、すっかり新たにされ希望と喜びに満たされました。その時から今まで、この希望、この喜び、この命は、私の中から決して消え去ることはありませんでした。

水上から帰ってきて、東京の国分寺駅で降りた時、空を見上げました。その時、「死は怖くない。死を超えることができた」との思いが確信としてやって来ました。確かに死を超えるイエス様の復活の命が自分の中に住み始めたことを知ったのです。

しかし、イエス様の復活の恵みは、これに留まらないのです。私たちのこの体は、癒されたとしても、何れ死に、土に帰っていくでしょう。イエス様を信じる者たちが肉体を脱いで天に行く時、霊は天に帰りますが、体は土に帰ります。しかし、聖書は、私たちの体は永遠に滅んでしまうのではないと言っているのです。詩篇16:10に「まことに、あなたは、私のたましいを黄泉に捨て置かず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せになりません」とありますが、これはイエス様の復活を預言しただけでなく、イエス様を信じる全てのものについての預言であり、約束であるのです。いつか、終わりの日に、この死んで土に帰った体がもう一度起こされ、天に帰った私たちの霊と結び合わされ、イエス様の復活の体と同じようになると言っています。

「もし私たちが、キリストに継ぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです」ローマ6:5.

私たちがイエス様の十字架によって罪が赦されていることを知り、イエス様に信頼し、罪の力によってではなく、イエス様の力によって生きるものとなり、そして、本来は自分自身が十字架に付けられるべき者なのだということを自覚しつつ生きるなら、私たちは、必ずイエス様の復活と同じようになる。つまり、霊が天国に行くだけではなく、この体が、死んで土に帰った体が、もう一度復活し、天国の霊と一つになって、イエス様の復活の体と同じようになるのです。

どういう体なのか、どういう方法なのかは私たちには分かりません。しかし、この弱く、卑しく、滅ぶべき肉体を種にして、栄光の体に甦らせることが出来る方がいると聖書は言っているのです。

「15:42 死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、 15:43 卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえらされ、 15:44 血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。」Iコリント15:42-44

それがどのように行われるのかは分かりません。私の頭脳の理解を超えています。しかし、一つ分かることがある。それは、神様は、私たちのこの体を、私たちが愛する以上に愛してくださっているということです。土に帰ったままの状態で滅んでしまうことをお許しならないほど、愛して下さっている。毎日太陽を昇らせて食物を与え、雨を降らせて水を与えてこの体を養ってくださっている神様は、この体を私たちが愛する以上に愛し、大切にしてくださっているのです。終わりの日に、完全な存在として復活させ、先に天国に行っている霊と結び合わせて永遠に生かしてくださる。

私たちのこの体は、癒され、支えられているとしても不完全です。私たちの中には、そのことで苦しみを感じている人もいるでしょう。なぜ、私はこのように生まれてきたのか。何故、私の体と心は、私が欲する体でなく、弱いのか。何故、苦しみながら生きなければならないのか。病に苦しむこともある。こんな体は要らないと思う事だってあるでしょう。しかし、この朽ちる、卑しい、弱いからだが、最後の日に、栄光ある復活の体に変えられるのです。弱いまま、永遠に滅びることはない。卑しいまま永遠に捨てられることはないのです。

このことを知る時、私たちは、この弱く朽ちて行く卑しい体を尊ぶことができるのです。この体が永遠の体の種として用いられるからです。この体が、イエス様の復活と同じようになるからです。この体も甦るのです。朽ちるままではない。卑しいままではない。弱いままではない。新しい栄光の体が与えられるのです。

皆さん、喜ぼうではありませんか。イエス様が甦ってくださった。私たちも甦るのです。イエス様が永遠に生きてくださった。私たちも永遠に生きる者とされるのです。

祈りましょう。

関連記事