「マタイの福音書」連続講解説教

動かぬ岩の上に

マタイの福音書第7章15節〜29節
岩本遠億牧師
2020年1月12日

「偽預言者たちに用心しなさい。彼らは羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、内側は貪欲な狼です。あなたがたは彼らを実によって見分けることになります。茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるでしょうか。良い木はみな良い実を結び、悪い木は悪い実を結びます。良い木が悪い実を結ぶことはできず、また、悪い木が良い実を結ぶこともできません。良い実を結ばない木はみな切り倒されて、火に投げ込まれます。こういうわけで、あなたがたは彼らを実によって見分けることになるのです。わたしに向かって『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。その日には多くの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言し、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの奇跡を行ったではありませんか。』しかし、わたしはそのとき、彼らにはっきりと言います。『わたしはおまえたちを全く知らない。不法を行う者たち、わたしから離れて行け。』ですから、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人にたとえることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家を襲っても、家は倒れませんでした。岩の上に土台が据えられていたからです。また、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行わない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人にたとえることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもその倒れ方はひどいものでした。」イエスがこれらのことばを語り終えられると、群衆はその教えに驚いた。イエスが、彼らの律法学者たちのようにではなく、権威ある者として教えられたからである。」マタイの福音書 7章15~29節

預言者
本物の預言者・・・神の言葉を語る
偽物の預言者・・・自分の思いを語る

用心せよ→一見見分けがつかない。すぐには分からない。
     どのような実を結ぶかでわかるようになる。

偽預言者の主張=
『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言し、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの奇跡を行ったではありませんか。』

主イエスの答え=
しかし、わたしはそのとき、彼らにはっきりと言います。『わたしはおまえたちを全く知らない。不法を行う者たち、わたしから離れて行け。』

何が問題なのか?
→自分の業に頼り、自分の業を誇っている

天におられるわたしの父の御心を行うものが天の御国に入る

天の御国=神の支配

天の御国は死んでから行くところではなく、この地にやって来るもの

天の御国に入る
=この地にやってきた神の支配の中に生きる

「幸いなるかな!心(霊)の貧しい者!天の御国は彼らのものだ!」マタイ5:3

山上の説教の教えの中心

父なる神との1対1の関係の重要性

・あなたがたの天の父を信頼せよ
・霊の貧しい者として天の父だけを求めよ
・天の父を信頼して、人を愛せよ
・あなたがたを愛しておられる天の父だけを基準とせよ
・人の評価を基準とするな
・天の父に似た者となれ

ルカの福音書 17章7~10節
「あなたがたのだれかのところに、畑を耕すか羊を飼うしもべがいて、そのしもべが野から帰って来たら、『さあ、こちらに来て、食事をしなさい』と言うでしょうか。むしろ、『私の夕食の用意をし、私が食べたり飲んだりする間、帯を締めて給仕しなさい。おまえはその後で食べたり飲んだりしなさい』と言うのではないでしょうか。しもべが命じられたことをしたからといって、主人はそのしもべに感謝するでしょうか。同じようにあなたがたも、自分に命じられたことをすべて行ったら、『私たちは取るに足りないしもべです。なすべきことをしただけです』と言いなさい。」

主イエスは、正しい預言をなし、悪霊を追い出し、病を癒し、多くの奇跡を行った。しかし、父なる神様からそれについての報酬を得ようなどとは思われなかった。

・主イエスが受けた報酬は、十字架であった。

ピリピ人への手紙 2章6~11節
「キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名を与えられました。それは、イエスの名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが膝をかがめ、すべての舌が『イエス・キリストは主です』と告白して、父なる神に栄光を帰するためです。」

この主イエスが、私たちを天の支配、神の国に招き入れ、神の子としてくださる。

・霊の貧しい者として生きよ。
・わたしと共に生きよ。
・わたしに似た者となれ。

「ですから、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人にたとえることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家を襲っても、家は倒れませんでした。岩の上に土台が据えられていたからです。また、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行わない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人にたとえることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもその倒れ方はひどいものでした。」 7章24~27節

ヨハネの福音書 15章7~8節
「あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまっているなら、何でも欲しいものを求めなさい。そうすれば、それはかなえられます。あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになります。」

律法学者たちのようにではなく、権威ある者として教えられた。

権威ある教え=言葉が現実を動かす。言葉が現実となる

イザヤ書 55章10~11節
「雨や雪は、天から降って、もとに戻らず、地を潤して物を生えさせ、芽を出させて、種蒔く人に種を与え、食べる人にパンを与える。そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、わたしのところに、空しく帰って来ることはない。それは、わたしが望むことを成し遂げ、わたしが言い送ったことを成功させる。」

キリストという動かぬ岩の上に、私たちの存在が建てあげられる。

「万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。」イザヤ書9:7

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