「マタイの福音書」連続講解説教

天を開く祈り

マタイの福音書第3章13節〜17節
岩本遠億牧師
2019年4月7日

マタイの福音書 3章13~17節

そのころ、イエスはガリラヤからヨルダン川のヨハネのもとに来られた。彼からバプテスマを受けるためであった。
しかし、ヨハネはそうさせまいとして言った。「私こそ、あなたからバプテスマを受ける必要があるのに、あなたが私のところにおいでになったのですか。」
しかし、イエスは答えられた。「今はそうさせてほしい。このようにして正しいことをすべて実現することが、わたしたちにはふさわしいのです。」そこでヨハネは言われたとおりにした。
イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると見よ、天が開け、神の御霊が鳩のようにご自分の上に降って来られるのをご覧になった。
そして、見よ、天から声があり、こう告げた。「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。」


ネヘミヤ記 第1章5〜7節

「ああ、天の神、主よ。大いなる恐るべき神よ。主を愛し、主の命令を守る者に対して、契約を守り、恵みを下さる方よ。
どうか、あなたの耳を傾け、あなたの目を開いて、このしもべの祈りを聞いてください。私は今、あなたのしもべイスラエルの子らのために、昼も夜も御前に祈り、私たちがあなたに対して犯した、イスラエルの子らの罪を告白しています。まことに、私も私の父の家も罪を犯しました。
私たちはあなたに対して非常に悪いことをして、あなたのしもべモーセにお命じになった、命令も掟も定めも守りませんでした。

イエス・キリストの宣教開始までの道

1.洗礼者ヨハネから受洗
2.天が開く
3.聖霊がイエスの上に留まる
4.荒野の試み
5.宣教開始

2と3が起こるために1が必要だった

ヨハネの洗礼運動=罪から神への立ち帰り
イエス・キリストは罪を犯さなかった(Iペテロ2:22-23)
ヨハネから洗礼を受けなければならない理由?

ヨハネ自身も思いとどまらせようとした。
ヨハネは自分の罪を知っていた。
キリストが現れたら、自分がキリストから受洗したい。

「全ての義を満たすのは、わたしたちにふさわしい。」

義=関係の正しさ
   人が神様を信頼して従い、神様が溢れる祝福を注ぐ。人が神様を見上げ、神様が人を見つめてくださる。

「義に飢え渇く者は幸いなり。彼らは満ち足りる。」
「神の国とその義をまず第一に求めなさい。」

ヨハネにとっての「義」
神への立ち帰り=自分の罪の告白+洗礼+正しい生活
        →神との関係の回復

主イエスがもたらした「義」
罪のない主イエスが、神の民の罪を自分の罪として受け取り、その赦しを乞う
→神の民と神との関係の回復

1.ヨハネからの洗礼において開始
2.十字架の贖いにおいて完成

天が開いた
=神の臨在の場と地を隔てるものがなくなった
=神の国(天の支配)がこの地にやって来た

聖霊が鳩のように降り、イエスの上に留まった。

天から声がした
「これは、わたしの愛する子、わたしの心にかなう者」=「メシアの即位の歌」詩篇2篇より

ネヘミヤ
紀元前5世紀頃に、アケメネス朝ペルシャによりユダヤ属州の総督として派遣されたユダヤ人。エルサレムの城壁を再建し、ユダヤ民族再興に取り組み、エズラらとともにユダヤ史における第二神殿時代のはじまりを担う。

ネヘミヤ記第1章 旧約聖書834ページ

先祖の罪のため、ペルシャで奴隷とされ、ペルシャ王の献酌官として仕えている。
自分自身は神の正しく礼拝者として生活し、滅ぼされるような罪を犯してはいない。むしろ被害者。

「私は今、あなたのしもべイスラエルの子らのために、昼も夜も御前に祈り、私たちがあなたに対して犯した、イスラエルの子らの罪を告白しています。まことに、私も私の父の家も罪を犯しました。」
「私たちは、あなたに対して非常に悪いことをして、あなたのしもべモーセにお命じになった命令も掟も定めも守りませんでした。」1:7-8

一つの命、一つの運命の中にある

× あの人の罪→あの人を赦してあげて下さい
× あなたの罪→あなた、罪を認めなさいよ!
○私たちの罪→私たちを赦して下さい

この祈りによって歴史が動いた。
ペルシャ王から暗い顔の理由を尋ねられる
→「エルサレムの城壁が崩されたまま、同胞が苦しんでいる。城壁を再建に行きたい。」
→ユダヤ総督に任命
→困難な中、城壁再建
→第二神殿時代の幕開け

新島襄:同志社の創設者
    日本最初のプロテスタントのクリスチャン

幕末に聖書に触れ、米国に渡る。
洗礼を受け、神学校で聖書を学ぶ。
キリスト教高等教育学校設立のための献金
→明治8年 同志社英学校を設立 
→明治15年 経営上の問題
→学生のストライキ 退学をも辞さない勢い
→4月13日の朝の礼拝

「吉野山 花咲く頃の 朝な朝な 心にかかる 峰の白雲」

「諸君が本校において学ばれる姿は、ちょうど満開の桜のようであって、こんな些細なことで退校してしまっでは、将来はどうなることだろうか――私は諸君の前途を案じて日も夜もこの古歌のように心を痛めている。今回の事件は、最初から学校側の手落ちであって、これは全く校長の私が至らなかったためである。生徒を罰すべきでもなく、教員の誰かを咎めることでもない。全責任は校長にあるのであって、罰すべきはこの私である」

主イエスのバプテスマ
罪のない主イエスが、私たちと一つの命、一つの運命を共にし、祈ってくださる。
→天が開いた
=神の義が天から雨のように降り注ぐ

「天におられる私たちの父よ。」
「私たちの日毎の糧を、今日与えて下さい。」
「私たちの罪を赦して下さい。私たちも私たちに罪を犯すものを赦しました。」
「私たちを試みに会わせず、悪より救い出して下さい。」

関連記事