「使徒の働き」 連続講解説教

宗教改革記念礼拝:全生涯にわたる立ち帰り

使徒の働き第20章28節~38節
岩本遠億牧師
2015年11月1日

20:28 あなたがたは自分自身と群れの全体とに気を配りなさい。聖霊は、神がご自身の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、あなたがたを群れの監督にお立てになったのです。

20:29 私が出発したあと、狂暴な狼があなたがたの中にはいり込んで来て、群れを荒らし回ることを、私は知っています。

20:30 あなたがた自身の中からも、いろいろな曲がったことを語って、弟子たちを自分のほうに引き込もうとする者たちが起こるでしょう。

20:31 ですから、目をさましていなさい。私が三年の間、夜も昼も、涙とともにあなたがたひとりひとりを訓戒し続けて来たことを、思い出してください。

20:32 いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。

20:33 私は、人の金銀や衣服をむさぼったことはありません。

20:34 あなたがた自身が知っているとおり、この両手は、私の必要のためにも、私とともにいる人たちのためにも、働いて来ました。

20:35 このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである。』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」

20:36 こう言い終わって、パウロはひざまずき、みなの者とともに祈った。

20:37 みなは声をあげて泣き、パウロの首を抱いて幾度も口づけし、

20:38 彼が、「もう二度と私の顔を見ることがないでしょう。」と言ったことばによって、特に心を痛めた。それから、彼らはパウロを船まで見送った。

1517年10月31日、アウグスチヌス修道会の修道士であり、ヴィッテンベルク大学神学部教授であったマルティン・ルターは、「罪の贖い」とは何かということを議論するための「95箇条の提題」をヴィッテンベルク城の城門に掲げた。

第1条「私たちの主であり、師であるイエス・キリストが、『悔い改めよ』(立ち帰れ)と言われた時、それは、信じる者の全生涯が『悔い改め』(立ち帰り)であることを欲し給うたのである。」

20:28 あなたがたは自分自身と群れの全体とに気を配りなさい。←訳が不十分
先ず、自分自身を見張れ!そして、群れ全体を見張れ!
教会指導者自身が教会に対する最大の脅威となる。先ず、自分自身を見張れ!

教会は誰のものか? パウロのものではない。 牧師・長老のものではない。 神のものである。

しかし、パウロはいなくなる
→牧師・長老の中から曲がった教え=自分に引き込む支配欲=人を自分の思い通りに

目をさましていなさい。=誘惑に引き込まれないようにせよ。
=自分の中に罪に引き込まれる性質があることを先ず認める
→日々の立ち帰り 
全生涯にわたる立ち帰り

昼も夜も、涙と共にあなたがた一人一人を訓戒した。
=罪の中にある人を導く=自分も内的に同じ罪を持つことを認め神様の前に共に悔いた、涙を流して赦しを乞うた

I commend you(複数) to God and to the word of His grace, which is able to build you(単数) up and give you (単数)an inheritance among all those who are sanctified.(欽定訳)
私は、あなた方を神とその恵みの言葉に委ねます。神の言葉は、全ての聖徒の中であなたを建て上げ、あなたに嗣業を与えることができるのです。

与えられる嗣業、資産=個人的に与えられる霊的恵み、授かり物

これがあまりにも絶大だから、人の金銀や衣服をほしがらないようになる。パウロは天幕作りとして、収入を得ながら、伝道をしていた。

他人の金銀、衣服を欲する=霊的資産、霊的嗣業を失う

ローマカトリック教会の罪=免罪符の販売=教会が集金マシンとなる=キリストからの霊的資産を失う
・・・どの時代のどの教会も陥る可能性がある誘惑、罪

主イエスの言葉「受けるより、与えるほうが幸いである」

日々、全生涯にわたる立ち帰り
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」マタイの福音書第11章28節~30節

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