「マタイの福音書」連続講解説教

愛の権威

マタイの福音書第8章5節〜13節
岩本遠億牧師
2020年1月26日

イエスがカペナウムに入られると、一人の百人隊長がみもとに来て懇願し、「主よ、私のしもべが中風のために家で寝込んでいます。ひどく苦しんでいます」と言った。イエスは彼に「行って彼を治そう」と言われた。しかし、百人隊長は答えた。「主よ、あなた様を私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばを下さい。そうすれば私のしもべは癒やされます。と申しますのは、私も権威の下にある者だからです。私自身の下にも兵士たちがいて、その一人に『行け』と言えば行きますし、別の者に『来い』と言えば来ます。また、しもべに『これをしろ』と言えば、そのようにします。」イエスはこれを聞いて驚き、ついて来た人たちに言われた。「まことに、あなたがたに言います。わたしはイスラエルのうちのだれにも、これほどの信仰を見たことがありません。あなたがたに言いますが、多くの人が東からも西からも来て、天の御国でアブラハム、イサク、ヤコブと一緒に食卓に着きます。しかし、御国の子らは外の暗闇に放り出されます。そこで泣いて歯ぎしりするのです。」それからイエスは百人隊長に言われた。「行きなさい。あなたの信じたとおりになるように。」すると、ちょうどそのとき、そのしもべは癒やされた。

権威とは何か?
権限と権威の違いは?

○親の権威  ×親の権限
○権威をもって治める  ×権限をもって治める
○愛の権威  ×愛の権限
○権威ある言葉  ×権限ある言葉

権限  白を白、黒を黒と言うこと
    自分に与えられた枠内で行使する力

権威  白を黒、黒を白と言い、それを実行する力。
罪人を義人と呼び、義人とする力。
不完全な者を完全と宣言し、完全にする力。

Wikipekia 「百人隊長」より

ペテロがコルネリウスに洗礼を授ける
フランチェスコ・トレヴィサニ 

僕=「子」という言葉
中風=麻痺

老人であったか、若者であったかは不明
老人→中風
若者→脳への損傷→麻痺

見栄も外聞も無い懇願
百人隊長
=先頭の最前線で指揮する勇猛果敢な男

部下を死刑にする権限を持つ。失敗に対しては、死をもって責任を取る

被支配民の一教師に懇願
・僕に対する深い愛
・イエスの権威への信頼

ハンセン病の人
百人隊長
→ともにイスラエルの祝福から除外

イエスの権威の下に入ったのは、まずこれらの人々
イエスの愛の権威に信頼した

エペソ人への手紙 2章11~19節
「ですから、思い出してください。あなたがたはかつて、肉においては異邦人でした。人の手で肉に施された、いわゆる「割礼」を持つ人々からは、無割礼の者と呼ばれ、そのころは、キリストから遠く離れ、イスラエルの民から除外され、約束の契約については他国人で、この世にあって望みもなく、神もない者たちでした。しかし、かつては遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近い者となりました。実に、キリストこそ私たちの平和です。キリストは私たち二つのものを一つにし、ご自分の肉において、隔ての壁である敵意を打ち壊し、様々な規定から成る戒めの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、この二つをご自分において新しい一人の人に造り上げて平和を実現し、二つのものを一つのからだとして、十字架によって神と和解させ、敵意を十字架によって滅ぼされました。また、キリストは来て、遠くにいたあなたがたに平和を、また近くにいた人々にも平和を、福音として伝えられました。このキリストを通して、私たち二つのものが、一つの御霊によって御父に近づくことができるのです。こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、聖徒たちと同じ国の民であり、神の家族なのです。」

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