「マタイの福音書」連続講解説教

産みの苦しみをする神と神の民

マタイの福音書第24章1節〜14節
岩本遠億牧師
2021年5月16日

“イエスが宮を出て行かれると、弟子たちが近寄って来て、イエスに向かって宮の建物を指し示した。すると、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたはこれらの物すべてを見ているのですか。まことに、あなたがたに言います。ここで、どの石も崩されずに、ほかの石の上に残ることは決してありません。」イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちがひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのですか。あなたが来られ、世が終わる時のしるしは、どのようなものですか。」そこでイエスは彼らに答えられた。「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『私こそキリストだ』と言って、多くの人を惑わします。また、戦争や戦争のうわさを聞くことになりますが、気をつけて、うろたえないようにしなさい。そういうことは必ず起こりますが、まだ終わりではありません。民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、あちこちで飢饉と地震が起こります。しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりなのです。そのとき、人々はあなたがたを苦しみにあわせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。そのとき多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合います。また、偽預言者が大勢現れて、多くの人を惑わします。不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えます。しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われます。御国のこの福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての民族に証しされ、それから終わりが来ます。”マタイの福音書 24章1~14節

一般的な理解における「世の終わり」
   =全てが滅び、虚無に帰す時

聖書における「世の終わり」
   =罪が支配する世の終わり
   =全てが完成する時

世の完成のための産みの苦しみ
   神の産みの苦しみ
   神の民が神と共に産みの苦しみを経験する

マタイの福音書23:37〜39
エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者よ。わたしは何度、めんどりがひなを翼の下に集めるように、おまえの子らを集めようとしたことか。それなのに、おまえたちはそれを望まなかった。見よ。おまえたちの家(エルサレム神殿)は、荒れ果てたまま見捨てられる。わたしはおまえたちに言う。今から後、『祝福あれ、主の御名によって来られる方(キリスト)に』とおまえたちが言う時が来るまで、決しておまえたちがわたしを見ることはない。」

イエスが宮を出て行かれると、弟子たちが近寄って来て、イエスに向かって宮の建物を指し示した。すると、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたはこれらの物すべてを見ているのですか。まことに、あなたがたに言います。ここで、どの石も崩されずに、ほかの石の上に残ることは決してありません。」

神の度重なる招きと警告を無視したエルサレム滅亡の予告
→紀元70年にローマのティトゥスによって破壊

キリスト時代のエルサレム神殿の模型
埋められ今は地下となった城壁跡
オリーブ山から見た現在のエルサレム

そこでイエスは彼らに答えられた。

「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『私こそキリストだ』と言って、多くの人を惑わします。また、戦争や戦争のうわさを聞くことになりますが、気をつけて、うろたえないようにしなさい。

そういうことは必ず起こりますが、まだ終わりではありません。民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、あちこちで飢饉と地震が起こります。しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりなのです。

神がまず産みの苦しみを苦しんでくださった。
悪魔の支配、罪の支配を終わらせ、
神の支配、愛の支配による完成を産み出す苦しみ

=主イエスの十字架

主イエスの十字架に連なる者たちも、主イエスと共に産みの苦しみを味わうことがある。

しかし、苦しみは苦しみのために存在するのではない

聖徒の死は天を開く

そのとき、人々はあなたがたを苦しみにあわせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。

そのとき多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合います。また、偽預言者が大勢現れて、多くの人を惑わします。不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えます。

しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われます。

御国のこの福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての民族に証しされ、それから終わりが来ます。

ロバート・ブラウニング 19世紀の英国の詩人
宗教詩「ラビ・ベンエズラ」
ギリシャ思想の影響を受けた西洋のキリスト教ではなく、ユダヤ思想の上に立つキリスト教こそ本物のキリスト教。

喜べや。我ら類属す
備えても与らぬ者に
実らせても受けぬ者〈神〉に
一つの火花(神の火花)が 
    我らの土塊(肉)をさわがせる
受けるばかりの その被造物よりも
与え給う神に より近く属する身なるを
    (手島郁郎訳『老い行けよ、我と共に』より)

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