「マタイの福音書」連続講解説教

知らずに行った神の業

マタイの福音書第26章1節〜13節
岩本遠億牧師
2021年6月27日

“イエスはこれらのことばをすべて語り終えると、弟子たちに言われた。「あなたがたも知っているとおり、二日たつと過越の祭りになります。そして、人の子は十字架につけられるために引き渡されます。」そのころ、祭司長たちや民の長老たちはカヤパという大祭司の邸宅に集まり、イエスをだまして捕らえ、殺そうと相談した。彼らは、「祭りの間はやめておこう。民の間に騒ぎが起こるといけない」と話していた。さて、イエスがベタニアで、ツァラアトに冒された人シモンの家におられると、ある女の人が、非常に高価な香油の入った小さな壺を持って、みもとにやって来た。そして、食卓に着いておられたイエスの頭に香油を注いだ。弟子たちはこれを見て、憤慨して言った。「何のために、こんな無駄なことをするのか。この香油なら高く売れて、貧しい人たちに施しができたのに。」イエスはこれを知って彼らに言われた。「なぜこの人を困らせるのですか。わたしに良いことをしてくれました。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいます。しかし、わたしはいつも一緒にいるわけではありません。この人はこの香油をわたしのからだに注いで、わたしを埋葬する備えをしてくれたのです。まことに、あなたがたに言います。世界中どこでも、この福音が宣べ伝えられるところでは、この人がしたことも、この人の記念として語られます。」”
マタイの福音書 26章1~13節        
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

イエスは宣教の言葉を全て語り終えられた。
→十字架の業が神の時、神の計画どおりに実行

「あなたがたも知っているとおり、二日たつと過越の祭りになります。そして、人の子は十字架につけられるために引き渡されます。」
           ↕︎
そのころ、祭司長たちや民の長老たちはカヤパという大祭司の邸宅に集まり、イエスをだまして捕らえ、殺そうと相談した。彼らは、「祭りの間はやめておこう。民の間に騒ぎが起こるといけない」と話していた。

200万人の人の騒乱→ローマの治安部隊出動
→自治権(議会、信教の自由)すら失う

イエスを祭りの後に密かに殺そうとする祭司長、民の長老の計画ではなく、神の計画が実現

過越の祭り
=出エジプトの時、小羊の血が滅びからイスラエルの民を守ったことを記念する祭り

イエスの十字架
=神の小羊として十字架に血を流し、神の民を滅びから救い、清める贖いの業
過越の祭りこそイエスの十字架の時
=神の計画

永遠の王の戴冠式←人の計画によらない

ベタニヤ=当時イスラエルで最も貧しい、ハンセン病(ツァラアト)患者の隔離村
・イエスは、エルサレムでの最後の数日間夜はベタニヤで過ごした。世から捨てられた人たちと過ごすことがイエスの慰め、力の源であった。
・ツァラアト患者シモンの客となったイエス

ある女性が高価なナルドの香油をイエスの頭に注ぎ尽くした。

理性的な行為ではない。自分の行為の意味を理解していない。愛には理由はない。愛が溢れて、そうせざるを得ない思いに満たされた。

香油を頭に塗る=客に対する一般的もてなし
客として招かれたイエスが、当時客に対するもてなしを受けていなかった。シモンが貧しかったからか。

この女性にとっては全財産に等しい香油=自分の全てをイエスに捧げた。
イエスはそれ以上にはるかに尊いお方。

極貧の村で非常に高価な香油を1回で使い切った→弟子たちからの非難

弟子たちはこれを見て、憤慨して言った。「何のために、こんな無駄なことをするのか。この香油なら高く売れて、貧しい人たちに施しができたのに。」

弟子たちはイエスの本質を理解していない。人の本質は、愛によってしか見抜くことはできない。

この女性は愛によってイエスの本質を見た。→自分の持っていた全てを捧げた。

極貧の村で非常に高価な香油を1回で使い切った
→同席の人たちからの非難

イエスは彼女を擁護
「なぜこの人を困らせるのですか。わたしに良いことをしてくれました。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいます。しかし、わたしはいつも一緒にいるわけではありません。この人はこの香油をわたしのからだに注いで、わたしを埋葬する備えをしてくれたのです。まことに、あなたがたに言います。世界中どこでも、この福音が宣べ伝えられるところでは、この人がしたことも、この人の記念として語られます。」

全人類の王が十字架に架かるという観点から全てのことに意味を与える。

ナルドの香油の隠れた重要な意味
油注ぎ=メシア任職の儀式
メシア=油注がれた者
   =神ご自身から特別な立場と権能を与えられた者
      1.祭司(初代はモーセ の兄アロン)
      2.イスラエルの王

サウルもダビデも、即位する前に隠れたところで預言者サムエルから油注ぎを受ける。→聖霊が激しく降る

「葬りの備えのためだ」
永遠の大祭司、全人類の王の油注ぎ
=人の目には隠れている(イエスも言及しない)

世に捨てられた人々が住む最も貧しい村で、しかも、人の目には隠れた中で行われたイエスの油注ぎ。

議会の中でも、大祭司の前でも、領主ヘロデ、総督ピラトの前でも、戴冠の香油は強い香りを放っていた。イエスこそ、永遠の大祭司、全人類の王であるという神の啓示は明らかにされていた。

聖霊に導かれた。物凄い神の業を行っている。しかし、その時、それを理解しているわけではない。

人の思いを超えて歴史を動かす神の愛の計画
・人の悪意さえ神の計画の中に取り込む
・自分が何をしているのか分からない愛の行為を神の計画の推進の力として用い、永遠という時間の中で完成し、それに最大限の賛辞を送る神の御心。

これは、あなたにとってどのような意味を持つか?

“人の心には多くの思いがある。しかし、主の計画こそが実現する。”箴言 19章21節

“神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。”
ローマ人への手紙 8章28節

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