「マタイの福音書」連続講解説教

神が造る平和に生きる

マタイの福音書第5章9節
岩本遠億牧師
2019年6月30日

「平和を造る者は幸いです。その人たちは神の子と呼ばれるからです。」

平和を造る者=天地の創造者である神の別名

「主権と恐れは神のもの。神はその高い所で平和をつくられる。」ヨブ記25:2

「主は御民に、主にある敬虔な人たちに平和を告げられます。」詩篇85:8

「主よ。あなたは私たちのために平和を備えてくださいます。」イザヤ書26:12

「私は光を造り出し、闇を創造し、平和をつくり、わざわいを創造する。わたしは主、これらすべてを行う者。」イザヤ書45:7

「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはいけません。わたしは、平和ではなく剣をもたらすために来ました。」マタイ10:34

キリストは平和を造るのか?
分裂をもたらすのか?

キリストが平和を造る方法・・・個人ベース→草の根の働き

「キリストこそ私たちの平和です。」エペソ2:14

・平和と争いが混交する状態が長く続く

・キリスト者がキリストの平和に生きることの意味を知ることの重要性

平和を造る⇔平和を壊す

悪魔の囁き→「私は正しい」→平和を壊す

「私は正しい」との主張=高慢の根

→否定される人が生み出される=愛の否定

「私は正しい」との主張の対立→相互否定=争い

キリストは自らの正しさを主張しなかった。

→十字架刑

→神と人との平和の実現

「そこで大祭司が立ち上がり、イエスに言った。『何も答えないのか。この人たちがおまえに不利な証言をしているのは、どういうことか。』しかし、イエスは黙っておられた。」マタイ26:62-63

「ピラトはイエスに言った。『あんなにも、あなたに不利な証言をしているのが聞こえないのか。』それでもイエスは、どのような訴えに対しても一言もお答えにならなかった。それには総督も非常に驚いた。」マタイ27:12-14

ルカの福音書 23章13~15節

ピラトは、祭司長たちと議員たち、そして民衆を呼び集め、こう言った。「おまえたちはこの人を、民衆を惑わす者として私のところに連れて来た。私がおまえたちの前で取り調べたところ、おまえたちが訴えているような罪は何も見つからなかった。

ヘロデも同様だった。私たちにこの人を送り返して来たのだから。見なさい。この人は死に値することを何もしていない。

「自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈れ。」マタイ5:44

→自分の正しさを超える愛と祈り

 「『どくろ』と呼ばれている場所に来ると、そこで彼らはイエスを十字架につけた。また犯罪人たちを、一人は右に、もう一人は左に十字架につけた。そのとき、イエスはこう言われた。『父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。』彼らはイエスの衣を分けるために、くじを引いた。」ルカの福音書 23章33〜34節

ローマ人への手紙5:1 「こうして、私たちは(キリストの)信仰によって義と認められたので、私たちの主イエス・キリストによって神と平和を持っています=神との間に平和があります。


ローマ人への手紙8:1−4「こういうわけで、今や、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の律法が、罪と死の律法からあなたを解放したからです。肉によって弱くなったため、律法にできなくなったことを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪深い肉と同じような形で、罪のきよめのために遣わし、肉において罪を処罰されたのです。それは、肉に従わず御霊に従って歩む私たちのうちに、律法の要求が満たされるためなのです。」

ローマ人への手紙8「11 イエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリストを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられるご自分の御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだも生かしてくださいます。

14 神の御霊に導かれる人はみな、神の子どもです。15 あなたがたは、人を再び恐怖に陥れる、奴隷の霊を受けたのではなく、子とする御霊を受けたのです。この御霊によって、私たちは「アバ、父」と叫びます。」

エペソ人への手紙 2章14~19節「実に、キリストこそ私たちの平和です。キリストは私たち二つのものを一つにし、ご自分の肉において、隔ての壁である敵意を打ち壊し、様々な規定から成る戒めの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、この二つをご自分において新しい一人の人に造り上げて平和を実現し、二つのものを一つのからだとして、十字架によって神と和解させ、敵意を十字架によって滅ぼされました。

また、キリストは来て、遠くにいたあなたがたに平和を、また近くにいた人々にも平和を、福音として伝えられました。このキリストを通して、私たち二つのものが、一つの御霊によって御父に近づくことができるのです。こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、聖徒たちと同じ国の民であり、神の家族なのです。」

十字架のキリストに出会う
→私たち自身が自分の正しさを超える愛に生きる者とされる

キリストの十字架の血を注がれる
→神様との間に完全な平和が与えられる

「自分に関することについては、できる限り、全ての人と平和を保ちなさい。」ローマ12:18

コロサイ人への手紙 3章12~17節「ですから、あなたがたは神に選ばれた者、聖なる者、愛されている者として、深い慈愛の心、親切、謙遜、柔和、寛容を着なさい。互いに忍耐し合い、だれかがほかの人に不満を抱いたとしても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全です。

キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのために、あなたがたも召されて一つのからだとなったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。キリストのことばが、あなたがたのうちに豊かに住むようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、忠告し合い、詩と賛美と霊の歌により、感謝をもって心から神に向かって歌いなさい。ことばであれ行いであれ、何かをするときには、主イエスによって父なる神に感謝し、すべてを主イエスの名において行いなさい。」

平和を造る人は幸いです。その人たちは神の子と呼ばれるからです。

平和を造る働き

・キリストの平和に生きる =自分の正しさを超える愛に生かされる

・キリストの平和(神との和解)を告げ知らせる


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