「マタイの福音書」連続講解説教

神に出会うところ

マタイの福音書第5章7節
岩本遠億牧師
2019年6月9日

「憐れみ深い者は幸いです。その人たちは憐れみを受けるからです。」マタイの福音書第5章7節

憐れみ
ギリシャ語 エレオス
困窮している人に対する親切や愛
具体的行動をもって、必要を満たす行為

エレオス=ヘブライ語 ラハミーム+へセッド

  ラハミーム
  「胎」を表わす言葉からの派生語
  →胎の子に対する母親の思い
  →はらわたの愛=体の一部として愛する

「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子を憐れまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしは忘れない」(イザヤ49: 15)

「父がその子供を憐れむように、主は、ご自分を恐れるものを憐れまれる」(詩篇103:13)

へセッド
  不変の愛
  =契約に基づく愛
  =神がご自分を指して誓われた決して変更されることがない愛

「わたしは決してあなたを離れず、捨てない」申命記31:6

マザー・テレサの祈り
「最愛の主よ。病んでいる人は、あなたの大切な人。今日も、いつも、病人ひとりひとりのうちに、あなたを見ることができますように。看病しながら、あなたに仕えることができますように。

イライラと短気な人、気難しい人、理屈に合わないことを言う人、人の目には好ましく思えないこうした人の中にもおられるあなたを見分けて、こう言えますように。『わが患者イエス、あなたに仕えることはとても嬉しい。』

主よ、このように見る信仰を与えてください。そうしたら、仕事は少しも単調ではなくなるでしょう。貧しく苦しんでいる人々の気まぐれを、温かくユーモアのうちに受け止め、その人々の願い事を満たすことに絶え間ない喜びを見出す者となるでしょう。

愛する病人さん、あなたがキリストを現しているとなれば、あなたは、二重に親愛な方となります。あなたをお世話することが許されるのは、わたしにとって特別な恩恵です。・・・

神であるお方よ、あなたはイエス。わたしのお世話する患者のなかにおられます。どうかわたしに対しても、ひとりひとりの患者イエスが忍耐深いイエスとなって、わたしの数々の落ち度は大目に忍び、あなたの大切な一人一人の病人のうちにおられるあなたを愛し、あなたに仕えようとしているこの志だけを見取ってくださるようにしてください。主よ、今もいつも、わたしの信仰を強め、深めてください。わたしの努力と仕事を祝してください。」(『マザー・テレサのことば』半田基子訳、女子パウロ会より)

マタイの福音書 25章31~40節
“人の子は、その栄光を帯びてすべての御使いたちを伴って来るとき、その栄光の座に着きます。そして、すべての国の人々が御前に集められます。人の子は、羊飼いが羊をやぎからより分けるように彼らをより分け、羊を自分の右に、やぎを左に置きます。

それから王は右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世界の基が据えられたときから、あなたがたのために備えられていた御国を受け継ぎなさい。あなたがたはわたしが空腹であったときに食べ物を与え、渇いていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、わたしが裸のときに服を着せ、病気をしたときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからです。』

すると、その正しい人たちは答えます。『主よ。いつ私たちはあなたが空腹なのを見て食べさせ、渇いているのを見て飲ませて差し上げたでしょうか。いつ、旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着せて差し上げたでしょうか。いつ私たちは、あなたが病気をしたり牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』

すると、王は彼らに答えます。『まことに、あなたがたに言います。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。』”

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

マルコの福音書 9章41節
“まことに、あなたがたに言います。あなたがたがキリストに属する者だということで、あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる人は、決して報いを失うことがありません。”
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

関連記事