「マタイの福音書」連続講解説教

神はハードルを下げた

マタイの福音書第24章32節〜51節
岩本遠億牧師
2021年5月30日

“いちじくの木から教訓を学びなさい。枝が柔らかになって葉が出て来ると、夏が近いことが分かります。 同じように、これらのことをすべて見たら、あなたがたは人の子が戸口まで近づいていることを知りなさい。まことに、あなたがたに言います。これらのことがすべて起こるまでは、この時代が過ぎ去ることは決してありません。天地は消え去ります。しかし、わたしのことばは決して消え去ることがありません。

ただし、その日、その時がいつなのかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。人の子の到来はノアの日と同じように実現するのです。洪水前の日々にはノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていました。
洪水が来て、すべての人をさらってしまうまで、彼らには分かりませんでした。人の子の到来もそのように実現するのです。

そのとき、男が二人畑にいると一人は取られ、一人は残されます。 女が二人臼をひいていると一人は取られ、一人は残されます。ですから、目を覚ましていなさい。あなたがたの主が来られるのがいつの日なのか、あなたがたは知らないのですから。次のことは知っておきなさい。泥棒が夜の何時に来るかを知っていたら、家の主人は目を覚ましているでしょうし、自分の家に穴を開けられることはないでしょう。ですから、あなたがたも用心していなさい。人の子は思いがけない時に来るのです。

ですから、主人によってその家のしもべたちの上に任命され、食事時に彼らに食事を与える、忠実で賢いしもべとはいったいだれでしょう。主人が帰って来たときに、そのようにしているのを見てもらえるしもべは幸いです。まことに、あなたがたに言います。主人はその人に自分の全財産を任せるようになります。しかし彼が悪いしもべで、『主人の帰りは遅くなる』と心の中で思い、仲間のしもべたちをたたき始め、酒飲みたちと食べたり飲んだりしているなら、そのしもべの主人は、予期していない日、思いがけない時に帰って来て、彼を厳しく罰し、偽善者たちと同じ報いを与えます。しもべはそこで泣いて歯ぎしりするのです。”
マタイの福音書 24章32~51節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

孤独な神は、人に自由意志を与えた。
=人の自由意志には介入しないと決めた
→全知全能の神が、ご自分の行動を制限した

神の行動原則=愛
1 神は人を信じ抜く=神の忍耐と希望
  人は、自分の自由意志で神を愛し、隣人を愛することができる→人の自由意志に不介入
2 ご自分を頼る人を決して見捨てない

イエス・キリスト(受肉した神、人となった神)の出現
十字架と復活によって悪魔の力を打ち砕く
→キリストこそ全人類の王であるとの宣教
→世界中に自分の意思で神を愛する者たちが充ちる→神の民を集める=神と神の民が一つとなる

イエス・キリストの十字架が持つ歴史的意義
  ・十字架の血による神の民一人一人の罪の贖い
   (=罪を覆う)
  ・自分の意志で神を愛する者たち(=神の民)を、歴史の最後に一つに集める。
          ↑
十字架によって神の計画が現実的に始動
=十字架と復活こそが、この神の計画を実行する唯一の力
       ↑
イエスのメシア(=キリスト)としての強い自覚
=メシアとして神の民を集めるために十字架に死に、復活する

イエスのメシア自覚=天地よりも確実な永遠の存在
「天地は消え去ります。しかし、わたしのことばは決して消え去ることがありません。」

イエスのことば=永遠に響きわたる
          =永遠に君たち一人一人に語りかける
          =歴史が終わっても、なお、君たち一人一人を死者の中から呼び起こし、一つに集める。

このために十字架にかかるのだ。復活するのだ。

歴史の終わりがいつ来るかは、誰にも分からない。
神の中に隠されている。ノアの時と同様だ。

 人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていました。
  ・自分の欲望を満たすための食事、飲酒
  ・自分の欲望を満たすための結婚、性行為
        
本来、食事(パン)、ぶどう酒は神の祝福。結婚は神の子が地に満ちるための神の祝福。
  人はそれを汚した。
  →地に暴虐が満ちた(創世記6:11〜12)

→洪水による反逆者の滅亡

ただし、神は人に完全を期待したことを後悔した(創世記8:21〜22)。

創世記 8章20~22節
 ノアは主のために祭壇を築き、すべてのきよい家畜から、また、すべてのきよい鳥からいくつかを取って、祭壇の上で全焼のささげ物を献げた。主は、その芳ばしい香りをかがれた。そして、心の中で主はこう言われた。

「わたしは、決して再び人のゆえに、大地にのろいをもたらしはしない。人の心が思い図ることは、幼いときから悪であるからだ。わたしは、再び、わたしがしたように、生き物すべてを打ち滅ぼすことは決してしない。この地が続くかぎり、種蒔きと刈り入れ、寒さと暑さ、夏と冬、昼と夜がやむことはない。」

神ご自身が人の悪、人の罪を覆うとお決めになった。

イエス・キリストとしてやって来られ、人の罪を覆う十字架の血によって、神の民を贖い、歴史の最後にご自分のところに集められる。

1 神を愛する者とそうでない者が分けられる。
  (2分の1だけ救われるということではない。)
          ↑
   神は神を愛する者を探し求めておられる。
    ・不完全な愛、芥子種一粒の愛を神は喜んでくださる。
    ・神を愛しているとの自覚がない者であっても、弱っている小さな者への愛を、ご自分への愛として受け止めてくださる。
    ・神は、全ての者が悔い改めに導かれる(=神に立ち帰る)をことを望んでおられる。
    ・絶望の時ではなく、神が永遠に呼んでくださる時。完成の時。

2 その日は突然やってくる→毎日丁寧に生きよ

「ですから、主人によってその家のしもべたちの上に任命され、食事時に彼らに食事を与える、忠実で賢いしもべとはいったいだれでしょう。主人が帰って来たときに、そのようにしているのを見てもらえるしもべは幸いです。まことに、あなたがたに言います。主人はその人に自分の全財産を任せるようになります。」

食事=神の祝福を象徴

仲間、隣人に神の祝福を与えることを怠らない。
=互いのために祈ること。互いを応援すること。
  助けが必要な人を助けること。

関連記事