「マタイの福音書」連続講解説教

神は存在の分裂を癒す

マタイの福音書 22章34~40節
岩本遠億牧師
2021年4月11日

“パリサイ人たちはイエスがサドカイ人たちを黙らせたと聞いて、一緒に集まった。そして彼らのうちの一人、律法の専門家がイエスを試そうとして尋ねた。「先生、律法の中でどの戒めが一番重要ですか。」イエスは彼に言われた。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』これが、重要な第一の戒めです。『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という第二の戒めも、それと同じように重要です。この二つの戒めに律法と預言者の全体がかかっているのです。」”マタイの福音書 22章34~40節

“聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一である。あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。”
申命記 6章4~5節

“あなたは復讐してはならない。あなたの民の人々に恨みを抱いてはならない。あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。わたしは主である。”
レビ記 19章18節

イエスがサドカイ派を論破した。

パリサイ派が、イエスを試験に来た。
パリサイ派としてのイエスの真価を確かめにきた。

当時、パリサイ派はこの二つの戒めが律法の中で最も重要であるとの認識を持っていた。(ユダ王国が滅ぼされたのは、歴代の王たちがこの戒めを守らなかったから。列王記II23章)。
ルカの福音書10:25以下参照
二つの戒めは、律法を行うことで満たされると考えていた。

イエスも同じ考えかどうか、確かめにきた。

この第一の戒めについてどのようなイメージを持っているか?

心を尽くす・・・心づくしのおもてなし
         精一杯のおもてなし
力を尽くす・・・力を尽くして走れ!
         →力を全部出し切る
いのちを尽くす・・・日本語にはない
            →イメージがつかみにくい
            死ぬまで頑張る?

尽くし・・・元のヘブライ語 「全ての〜で」

“聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一である。あなたは心(レヴァヴ)を尽くし、いのち(ネフェシュ=たましい)を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。”
申命記 6章4~5節

聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一である。あなたはあなたの心の全てで、あなたのたましいの全てで、あなたの力の全てで、あなたの神、主を愛しなさい。

詩篇86篇

11 主よ あなたの道を私に教えてください。
  私はあなたの真理のうちを歩みます。
  私の心を一つにしてください。御名を恐れるように。
12 わが神 主よ 私は心を尽くして
  (=私の心の全てで)
  あなたに感謝し
  とこしえまでも あなたの御名をあがめます。

全ての心=一つとなった心(分裂のない心)

分裂した心、分裂したたましい、分裂した力
→一つの心、一つのたましい、一つの力
=全ての心、全てのたましい、一つの力

聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一である。あなたは一つの心で、一つのたましいで、ひとつの力で、あなたの神、主を愛しなさい。”

自分の思い、努力、頑張りで自分の心、自分のたましい、自分の力を一つにできるか?

詩篇の作者は祈った。
「私の心を一つにしてください」
「我がたましいよ、何故思い乱れているのか」

マルティン・ブーバー『我と汝』

神に向かって「あなた」と呼びかける「わたし」
=神と一つとなったわたし。分裂のないわたし。
=神との今の関係の中にあるわたし。

それ以外の「わたし」
=「それ」「あれ」「これ」「彼」「あの人」と言い、かんがえるわたし。
=過去の経験をもとに、自分の思考を対象とするわたし。
=複数の自己がいる状態

“しかし、人が主に立ち返るなら、いつでもその覆いは除かれます。主は御霊です。そして、主の御霊がおられるところには自由があります。私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。”コリント人への手紙 第二 3章16~18節

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