「マタイの福音書」連続講解説教

神は罪人を招く

マタイの福音書第9章9節〜13節
岩本遠億牧師
2020年3月15日

“イエスはそこから進んで行き、マタイという人が収税所に座っているのを見て、「わたしについて来なさい」と言われた。すると、彼は立ち上がってイエスに従った。イエスが家の中で食事の席に着いておられたとき、見よ、取税人たちや罪人たちが大勢来て、イエスや弟子たちとともに食卓に着いていた。これを見たパリサイ人たちは弟子たちに、「なぜあなたがたの先生は、取税人たちや罪人たちと一緒に食事をするのですか」と言った。イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人です。『わたしが喜びとするのは真実の愛。いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです。」”マタイの福音書 9章9~13節

取税人
ローマ帝国による被支配地からの収税方法
ユダヤ人がユダヤ人からローマ帝国のために税金を集めるシステム

強制的な収税←強力な軍事力
ローマ皇帝=神 偶像崇拝
     ↓
ユダヤ人による強い反発

入札によって取税人の地位を得る
ローマの軍事力を背景にユダヤ人から搾取、豪奢な生活

取税人=売国奴 
   ローマの武力を背景に金を強請りとる悪党、罪人

収税所
カペナウム
=メソポタミアとエジプトを繋ぐ主要街道上

交易品への課税
→律法的には汚れたものに常時触れる
→汚れた者

イエスはそこから進んで行き、マタイという人が収税所に座っているのを見て、 「わたしについて来なさい」と言われた。すると、彼は立ち上がってイエスに従った。

立ち上がる
anistemi=横になっていたものが起き上がる、死者が甦る

イエスが家の中で食事の席に着いておられたとき、見よ、取税人たちや罪人たちが大勢来て、イエスや弟子たちとともに食卓に着いていた。

誰の家?
一緒に食事をするとは?

これを見たパリサイ人たちは弟子たちに、「なぜあなたがたの先生は、取税人たちや罪人たちと一緒に食事をするのですか」と言った。イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人です。『わたしが喜びとするのは真実の愛。いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです。」”

パリサイ人
汚れから身を避けることが礼拝者として生きる道

医者
血や漏出に触れる→汚れることを厭わない

自分が汚れることを恐れていては、真実の愛に生きることはできない。

『わたしが喜びとするのは真実の愛。いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。

ホセア書に記されている神の愛を実践することによって学べ

旧約の預言者ホセア
紀元前 8 世紀に、北イスラエル王国がアッシリア帝国に亡ぼされる紀元前 722 年以前迄預言活動を行う。

主への礼拝とバアル神への礼拝が混在

バアル:五穀豊穣の神

バアル(男神)とアシュタロテ(女神)の性行によって豊穣がもたらされるという偶像崇拝
      ↓
バアル神殿での神殿娼婦とイスラエルの男たちとの淫行=バアル崇拝

主による厳しい裁きの宣告
   +
主の真実の愛の宣教

預言者ホセアの苦しみの結婚生活

バアル神の神殿娼婦ゴメルは姦淫を犯し続け子供たちを産む
         ↓
主からの言葉 「姦淫の女と姦淫の子等を引き取れ」
         ↓
ホセアの妻となるゴメル
         ↓
ホセアから離れ、姦淫を犯し続け、ついに奴隷とされ、偶像の神殿で再び娼婦となる
         ↓

主の言葉「再び行って、姦淫の妻を引き取れ」
           ↓
銀15枚(女性の奴隷を買い取る金額)でゴメルを身請けし、救い出す
           ↓
神様の変わらぬ愛とは何かが明らかにされる。

“さあ、主に立ち返ろう。主は私たちを引き裂いたが、また、癒やし、私たちを打ったが、包んでくださるからだ。主は二日の後に私たちを生き返らせ、三日目に立ち上がらせてくださる。私たちは御前に生きる。私たちは知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁のように確かに現れ、大雨のように私たちのところに来られる。地を潤す、後の雨のように。「エフライムよ、わたしはあなたに何をしようか。ユダよ、わたしはあなたに何をしようか。あなたがたの真実の愛は朝もやのよう、朝早く消え去る露のようだ。それゆえ、わたしは預言者たちによって彼らを切り倒し、わたしの口のことばで彼らを殺す。あなたへのさばきが、光のように出て行く。わたしが喜びとするのは真実の愛。いけにえではない。全焼のささげ物よりむしろ、神を知ることである。ところが、彼らはアダムのように契約を破り、そこでわたしを裏切った。ギルアデは不法を行う者の町、血の足跡に満ちている。盗賊が人を待ち伏せするように、祭司たちは徒党を組み、シェケムへの道で人を殺す。彼らは実に淫らなことを行う。イスラエルの家にわたしはおぞましいことを見た。エフライムはそこで姦淫をし、イスラエルは汚れてしまった。ユダよ、あなたにも刈り入れが定まっている。わたしが、わたしの民を元どおりにするときに。」”ホセア書 6章1~11節

「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人です。『わたしが喜びとするのは真実の愛。いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです。」”

神は真実の愛(へセッド)で愛し抜く
人にも真実の愛を求められる
形式的礼拝は求められない

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