「マルコの福音書」 連続講解説教

私たちと一つとなるために

マルコの福音書第1章9節~11節
岩本遠億牧師
2016年6月19日

1:9 そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来られ、ヨルダン川で、ヨハネからバプテスマをお受けになった。 1:10 そして、水の中から上がられると、すぐそのとき、天が裂けて御霊が鳩のように自分の上に下られるのを、ご覧になった。 1:11 そして天から声がした。「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」

ヘブル人への手紙
4:15 私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。

ペテロの手紙第一
2:22 キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。2:23 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。

罪が赦されるための悔い改めのバプテスマ=罪の赦しに至る立ち帰りのバプテスマ

罪のない方が何故ヨハネからバプテスマを受ける必要があったのか?
→私たちと同じになるため。私たちと一つとなるため。

創世記
1:27 神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。

かたち(ツェレム)=影
本体である神と共にあるもの、本体である神と一つのもの
罪=神から離れた生き方をすること

罪の赦し=神と一つとなること
聖霊によって神さまに向かって「天のお父様」と呼べるようになること

ローマ人への手紙
8:14 神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。8:15 あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。

ヨハネの福音書
17:11 わたしはもう世にいなくなります。彼らは世におりますが、わたしはあなたのみもとにまいります。聖なる父。あなたがわたしに下さっているあなたの御名の中に、彼らを保ってください。それはわたしたちと同様に、彼らが一つとなるためです。

17:22 またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。

17:23 わたしは彼らにおり、あなたはわたしにおられます。それは、彼らが全うされて一つとなるためです。

主イエスのバプテスマ=罪のなかった御方が罪ある私たちと一つとなる
主イエスの十字架=罪のなかった御方が罪ある私たちと一つとなることの究極

何故、私たちはバプテスマ=洗礼を受けるのか?=私たちも主イエスと一つとなるため
何故、聖餐を受けるのか?=主イエスの肉と血を象徴するパンと杯を受けることによって、主イエスと一つとなるため

父なる神様が人に与えた救いの業=主イエスをとおして神と人が一つとなる

先ず、罪のない御子イエスが、バプテスマにおいて、そして十字架において、罪人である私たちと一つとなる。そして、私たちも御子イエスと一つであることを願い、そのように生き始める。その象徴が、洗礼であり、聖餐式。

主イエスのバプテスマにおいて、神と人がもう一度一つとなる救いの業が開始された。
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1:10 そして、水の中から上がられると、すぐそのとき、天が裂けて御霊が鳩のように自分の上に下られるのを、ご覧になった。 1:11 そして天から声がした。「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」

天が裂ける=天と地を隔てていたものがなくなる=天と地が一つとなる

聖霊=人を神と一つとする神の御霊

ローマ人への手紙
8:14 神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。 8:15 あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。

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